不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

人も物も潰えるまで

わずか20年前と比べて、世の中は大変便利になりました。

少し恐ろしさを感じるほどです。日本人は元々、便利すぎることに警戒心を持っていると思います。

欧米人のように便利なものをどんどん使おうという気風ではないようです。

20年前にWindows95が発売されてからというもの、インターネットを通じて社会は恐るべき速さで広がり、今や世界中がネットワークにつながり、交流や物流を容易にしています。

日本は戦後の復興を経て、今や押しも押されぬ経済大国です。国ベースでは中国に及ばないとされていますが、実体経済では多分まだアメリカの次ぐらいのように思います。欧州にいくつもあるような普通の大きさの国土に、やや多い人口という体ですが、その経済力たるや米ドル、欧ユーロに対抗するほどです。ましてやここ70年は戦争が起きていないという、大変な楽園ぶりです。

私は今まで1週間以上滞在したことがある国は5ヶ国ぐらいしかなく、先進国か中堅国なのですが、中には1年以上に亘って住んだことがある国もあります。その中で日本人として反省すべき点を見出しました。それは「ものを大事に使うこと」。別に特別なことではありません。資源を浪費しないこと、です。ある本には世界の全部が日本人のようなレベルの生活を維持した場合、地球の資源の4倍以上を必要とすると言っています。アメリカ人のようなライフスタイルなら10倍だそうです。日本のようにある意味先進国としては究極のエコを実現していてもこのくらいになります。

今あるものを完全に使えなくなるまで使う、これが本来あるべきエコの姿ですが、商業的にはできるだけ早く買換えて欲しい。昔の製品(特に手作りのものなど)は製作者が全精力を傾けて、最高のモノを作り、それをできるだけ末永く使っていたはずですが、工業が盛んになるとできるだけたくさん作ることが至上命令になってきました。

つまりそれは「必要だから買わせる」から「欲しいから買わせる」に変わったという事です。

更に言えば「必要なもの」も「ある程度したら壊れる程度」のスペックを持たせる。

そうすることで市場社会が形成されて、品物を供給し続けるという図式。

この市場社会というのは庶民を貪欲にさせて企業を生かし成長させます。そしてそのツケは地球の環境に負荷を与えます。

元々日本人は江戸時代までは(明治でもそうだったかも知れませんが)持ち物を大変大事に使っていました。多分、使っていたもの自体、意外に高品質だったのかも知れません。ゴミを極力出さない社会でした。それは環境にも負荷が少なかったのはもちろんのこと、すぐゴミになる商品は恥ずかしいとされていたから。すぐ壊れる調理器具、すぐ壊れる下駄、そんなものを作っている製造者はすぐに失業するので、恐らく当時の製造者は全力でよいモノを作っていたのではないかと想像します。結果、後になって考えれば環境にも良いと言うだけです。一つのものを完全に使い潰すまで使う。よく考えてみたらそれは人類が数万年ずっと守ってきたことです。それが変わってきたのはここ100年ぐらいのこと。

便利すぎるもの、サービスを際限なく使えばそれはじわじわと地球環境を悪化させ、気付かないうちに取り返しが付かないような状況になっていきます。(もうなっているかも知れませんけど)昔のように便利すぎることには恐れを抱く、そういう生き方を心掛けたいものです。また、物を買う場合も例えば必要だから買う、以外はよくよく考えて購入して欲しいところです。

何故そんなことを書いたのかと言えば、昼にたまたま息子の英語の教材を買うためにアマゾンを利用しました。恐ろしいほど簡単に購入ができてしまいます。一見何でもなさそうですが、簡単に購買できる、即座に配達されるという便利さの中には地球環境に大変負荷を与えている要素がたくさんあります。私はこの便利さにふと恐れを抱きました。(今までもそうですが)

私は現在自動車を所有しておらず、ここ1年以上は公共交通機関を利用しているので、無闇に車を乗り回してガソリンを非効率的に消費する愚を痛いほどに感じています。例えば1人70キロの重さを移動させるためだけに軽自動車であっても重量約800キロの物体を内燃機関を使って動かす。考えてみれば非効率この上ない。個人の利便性を徹底追及した結果です。

アマゾンのサービスだって多分、宅配業者は忙しさに比してそれほど儲かっているのか怪しいものですし、例えそうだとしてもその分トラックを多く稼働させているという現実があります。数百グラムの箱一つのためにちょっと遠回りさせていると言うこと。これが世界に数百万人いて、ほぼ毎日こんな状況であったら、他にいくらエコな生活をしていても全く意味がない。

うちはほとんどエアコンも使わないのですが、それでも電気料金を見るとやはりそこそこ使ってます。悩ましいところですが。

世界の破滅は映画のように急には来ません。どんなに早くても数百年、遅ければ千年単位です。しかし一旦下り坂に差し掛かったらちょっとやそっと努力してもその勢いは止まらないというのが現実です。がんと同じで兆候がハッキリ見えてからでは遅いのです。もっとも私が小学校低学年の時と比べても自然環境は結構変わってきていますから、すでに急な下り坂に差し掛かってしまっているのかも知れません。

ほんの少し皆(特に先進国の市民)が不自由を忍び、別の楽しみを見つけることはできないものでしょうか。ものを消費したり、安逸なサービスを利用しなくても何かできるはずだと私は思っています。

多分、私たちに足りないのは自然への感謝。それは欧米人が主張するそれとは違います。150年前は石けんや油を採るためにクジラを散々殺し、化学製品に置き換わったら今度は保護をする。これは自然への感謝とは言いません。現に先日、かの自然保護で高名な豪州政府は保護しすぎたコアラを700匹も密かに殺処分にしています。恐れ入りました。ちなみに一時期コアラも殺しすぎて、それで保護した経緯があります。コアラは良くてクジラはダメなんですか。欧米人のセンスはそういうものが多いように思います。感謝をした上で自然から少しずつ頂く、これだと思うのですが色々問題山積とは言っても日本はその理念からは遠からぬ所にいると思います。日本の神道などは一番世界を救うに足る方法論だと思っています。

そんなこともあって私は機会がある毎に日本人のものの考え方を含ませて、日本文化の紹介を海外の同門にしています。

・・・こんな話しにピッタリな演説があります。

これを聴いてから敬愛して止まない偉大なる政治家、前ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ氏の大変素晴らしい演説をどうぞ。

https://youtu.be/Q7aJcf_Lexs

ホセ・ムヒカ 前ウルグアイ大統領

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平成二十七年卯月八日

不動庵 碧洲齋