不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

IDICということ

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雅量に欠けるかも知れないので書こうかどうか悩みましたが、やっぱり書きます。

先週の土曜日のこと。稽古を終えて兄弟子に駅まで車で乗せていってもらおうと思った矢先、先日来日したばかりの短期滞在海外同門が車のエンブレムを指し「彼は愛国者だな」と言いました。

いささか意味が分かりかねたので再度尋ねると、彼は「これはトヨタだろう?国産車に乗るのは愛国者だと思う。」と繰り返しました。

私は周囲を見渡してその駐車場に止まっていた14-15台の車を見渡し「・・・ここに止まっている車は全部国産車なんですけど・・・」と言うと、彼はぎょっとしました。幾つかのメーカーは韓国メーカーと勘違いしていたようです。

「日本人は愛国かどうかという基準で物を買ったり選んだりはしない。常にベストの物を買う。それがたまたま日本製であるに過ぎない。また、人に対して愛国者かどうかと尋ねるのは日本では『あなたはバカカ』という問いにも等しい。愛国は行動で示すもので言葉で語るべきものではないからだ。愛国の情で憤怒しているだけの人は日本ではストレートに『バカ』と定義されている」

そう言うと彼は苦い顔をしました。何でそんなことを言ったのかと言えば彼は自称世界に名だたる選ばれし民だからでした。久々にガチなのを見たな。気分悪かったです。

電車の車内でもこんな事がありました。

たまたま招待したお茶会の話になったのですが、そこで使われる茶器が数百年前の大変価値のあるものだと言うと、彼は負けじと祖国の首都の近郊を掘れば、聖書の時代の陶器が出てくると言いました。私が実際に今でも作っているのかと言えば、もちろん何千年前から作っている、というので、特定の流儀や地方による特性があるのかと尋ねると、そういうものはなく、ただ昔からそのように作られてきているのだと、さすがにこれは強くない口調で答えました。(苦笑)

こういう考えだからこそ、国が興亡したり、民族は集散を繰り返したりするのだろうなと思いました。多分この方は民族として大事なことが分かっていない。この方の態度が昨今流行の安っぽい愛国主義者たちに似ていたので少々引いてしまいました。

土曜日、かのスタートレックで理論を重んじる異星人、ミスタースポックを演じたレナード・ニモイ氏が他界しました。私も息子も大のトレッキーなので本当に悲しく思います。実はニモイ氏は既出の同門と同じ出です。ただニモイ氏は非常に思索的で思慮深く哲学的です。驚くべきはカーク艦長演じるウィリアム・シャトナー氏も同じ民だとか。信仰まで同じか分かりませんが。頑迷で歴史的なご迷惑民族の1人が宇宙を股に掛け、様々な人種や異星人と一緒の職場で働き、そのリーダーであることはちょっと皮肉です。もしかした作者が引っ掛けた皮肉だったかも知れません。

私の友人の何人かもこの民の血を引きますが、人間的にも大変尊敬に値するほどに素晴らしい人が何人かいます。それ故にセコい民族主義を持ち出すのはその民族の狭量さを示すようなものです。最近はネットで世界が広がってきているにも拘わらず、心がどんどん狭くなっているような人を多く見ます。生半可なのに過激な民族主義者や愛国思議者などはネットが普及してから出てきたようなものでしょう。私が基本的に敬意を払う人は一次資料に基づいてちゃんと相手国の非を指摘できる人、外国人と対等に渡り合える人、など。内輪で気炎を上げているような人の中にはロクなのがいません。努力してそこから出ようとする人には慈悲を以て接したいところですが、そうで無い場合は国際社会における日本の立場を汚すもの他なりません。私自身、結構愛国者のつもりですが、そういう連中には私は結構冷たいです。

ミスタースポックの母星、惑星ヴァルカンで尊重されているヴァルカン哲学の根本は「Infinite Diversity in Infinite Combinations 略してIDIC」(無限の組み合わせにおける無限の多様性)です。モノクロカルチャーからは何も生まれない。私も10代の頃からこの哲学を重んじるよう努力してきました。(つまり10代からトレッキーだったということです・笑)

愚かな考えは我が身を滅ぼすに早いものです。比較的世界で賢明で高貴と知られる日本人故に、賢き道を歩んでいきたいものです。

平成二十七年弥生三日

不動庵 碧洲齋