不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

誰も守ってくれない

昨今、ネット社会というものは現実社会とほとんど癒着して分離不可能という辺りまで来ていると言っていいと思います。

パソコンが普及して早20年、今年成人式を迎えた人ですら生まれて物心が付いたときから携帯もパソコンもネットも普通にあるというのには驚かされます。

幸運にも私は世界数十ヶ国に大勢の友人がいます。

ネットが普及する前などは例えばアルゼンチンですとただの手紙のやり取りに1ヶ月以上かかりました。

初めて会社でメールアドレスを持ったのは確か97年か98年だったと思いますが、あまり使った記憶がありません。99年に二度目の豪州赴任から戻ってきてビッグローブに加入して初めて個人のアドレスを持ちました。以後、今まで大変時間のかかった海外の友人との交流に僅か数秒という現実に、衝撃的を覚えました。

2010年からは以前から勧められていたフェイスブックにも参加しました。

今でも実名を知らせるのは居心地が悪いですが、世界中の友人たちと連絡が取り合えるのでかなり重宝しています。

私にとってインターネットとは、このように時間や空間を跳躍できる大変便利なシステムだと思っていたのですが・・・

「誰も守ってくれない」は2009年公開映画で主演は志田未来さん。初主演とのことですがいろいろ物議を醸したテレビドラマ「女王の教室」で初出演を飾り、バツグンの演技力を持った子役として登場しました。かわいさはもちろんですが、確かに演技がうまい。私的に「こんな娘がいたら」のナンバーワンです(笑)。

保護担当を任された刑事さんは佐藤浩市、いいですねぇ。また宿泊先のホテルのオーナーは柳葉敏郎、こちらもとてもよかった。

この話は未成年容疑者の家族を保護する、という視点で描かれたものですが、ネット社会の恐ろしさを思い知らされました。現実にもこういう事はあると思います。

容疑者家族が名を変えて逃げてもインターネット上の掲示板に色々な人からの情報が集められ、徹底的に暴かれる。しかも個人情報はもとより本人と家族の写真や挙げ句はボーイフレンドまで裏切ってライブ映像まで流すなど、本当に怖かった。

容疑者が家族にいるとマスゴミのみならず、一般市民までもここまで人を追い詰めるのかと恐ろしくなりました。

人はいつから寛容性をなくしたのでしょうか。

ネットが普及したら、世界はもっと楽に通信できて分かり合えるものと思っていましたが、実際はその逆、気分が悪くなるようなゴリゴリの主張があちこちに点在します。戦前の軍国主義かっ!というものや、過激派か!というのまで。ネットの匿名性というのもあるのでしょう。その点ではFBは比較的無責任な事は言えないので気を遣います。ま、私の場合はmixiでもほとんどがリアルでも友人なのであまり変わりませんが。

違う主義主張、思想に寛容になれない。差異のある対象を徹底的に撃破しようと試みる。

もちろんこれは日本でも海外でも起こりうることですが、私は特に日本人のケースを恐れています。

何故なら日本ではほとんど英語も必要としないくらい普段から異国人と接する機会もない。肌の色の違いを気にしないし、髪の色も然り。最近はそうでもありませんが金持ちと貧乏の狭間も、例えば今のところはアメリカほどでもなく。アメリカに行ったときは驚きました。本当に映画に出てくるような大豪邸が建ち並ぶ少し離れたブロックには、これまたよくハリウッド映画にも出てくるような貧しい区画があったりしました。中国などはもっと格差が開いているようです。一説にはジニ係数が0.6というのですから暴動どころではない数値です。

日本は一民族故に大きな違いが日常生活に出にくい。故にそれがそのまま世界に放り出されたときのカルチャーショックたるや、半端ないと考えます。

他と違うことにやや臆病で恐がりな日本人故に匿名性が高いネットではその反動も強い。

お手軽なネットでは興味本位なことも指先一つで出来てしまうのでより拡散してしまい易い。これも怖いことです。

社会は基本、寛容や思い遣りを以て営まれるべきです。そうでなかったらギスギスしすぎて生きにくい。

違いを許す、過ちをある程度許す。人は思っているほどには大きな違いはありません。違うと思っている思い込みの方が多いくらいです。

無制限にとは言いませんが、品格を損なわない程度の寛容はあって然りです。それでなければ何の為の文明社会なのか。

と、この映画を見て思いました。

平成二十七年如月九日

不動庵 碧洲齋