中国のあるお坊さんが趙州和尚に質問しました。
「犬に仏性はありますか。」
趙州和尚は即座に答えました。
「ない」
生きとし生けるものには全て仏性が備わってますが、趙州和尚は質問者に対して「無」と返しています。
犬と違って人は死んだ後のことに思いを馳せてしまいます。
犬は今その瞬間を生き尽くすだけですが、人は今生きている他にその対である「死」について考えます。
犬の「生」は絶対的ですが、人の「生」は相対的です。
そう考えるとなかなかおもしろいと思います。
ロシアでなぜ居心地がよいのか考えてみました。
人種差別感がかなり低い、という結論に達しました。
実際に差別する人もいるのでしょうが、米国と比較した感じではそういう人種差別感がほとんど感じられません。
友人にその旨を話してみたら、今まで何人かの王様や皇帝は今の北欧系とは違う人種だったし、原始時代にはもちろん、今とは違う人種が住んでいたり支配していたので、人種の違いを気にする人はかなり少ないはずだとのこと。個人的にはソ連時代の共産主義的な思想もあるのだと思っています。
そういうことでロシアでは人種ではなくその人の言動やいでたちで判断されることが多いようです。
米国でももちろん人種差別感はとても少ないのですがそれでも時折、場所によっては興味本位の視線を感じます。
また、会話をしていてよく感じるのは「私は人種差別などしない」という態度がありありと見えること。それはそれでありがたいのですが、そういう主張は堂々とされても逆に困ります。
こういう自然な接し方をしてくれるだけでも嬉しいのですが、ロシア人の親日観はなかなかのものです。
田舎町のカフェで食事をした折、寿司が結構人気だったのには驚かされました。
割にみんな普通に食べてますね。
日本人の方からももっと歩み寄ったら、ツンデレ系のロシア人はもっと喜んでくれそうな気がします。
平成二十七年睦月六日
不動庵 碧洲齋