不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

平成二十六年度 臘八坐禅会 五日目 所感

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これは本当にあった話です。

現在の鎌倉建長寺の管長を務められている吉田正道老師から私の師にされた話しです。

あるクリスチャンの女性がいて、毎日毎日真摯に祈っていたところある日突然、何か不思議な感覚を感じて周囲のもののみえ方が変わったという体験をされました。何なのか知りたいと思い、通っている教会の神父さんに尋ねたところ、本人も分からないものの、知り合いの吉田管長に尋ねたら分かるかも知れないと思い、女性を建長寺に連れて行き吉田管長に引き合わせました。

吉田管長は話を聞くと女性に見照をしたかどうか確認するための公案を幾つか試問したところ、全部見事に透過してしまったそうです。公案の中には、在家の人間が見照をした時にそれを確認するための公案体系があるそうです。

女性はこれからどうしたよいかと管長猊下に尋ねたところ、尼さんにでもなりなさいと言うことで、今は臨済宗の尼僧の僧堂で修行をしているとか。現在は臨済宗の尼僧の老師が亡くなって久しいらしく法は絶えていますが、彼女が立派な老師になったらいいですね。

5日目の臘八示衆の話しは私が一番好きな話しです。ちょっと長いのですが非常に興味深い話しなのでご紹介します。

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菴原に平四郎という者がいて、不動尊の石像を彫刻して吉原山中の滝に安置した。滝の水が上から下に落ちるさまを見て水の泡がブクブク前後に移り、また一尺ほど流れる間に消え、また二尺三尺にして消え、またさらに二間三間にして消えてしまう。それを見て自然と心に感じるところがあり、ついに世間の営みはすべて水の泡のようであることに気がついた。すると、居ても立ってもいられなくなってしまった。

以前、沢水法語の中に「勇猛の衆生のためには成仏一念にあり、懈怠の衆生のためには涅槃三に亙る(勇猛心を持って修行する者は一念のうち、すなわちアッという間に悟ることができる。怠けている者は気が遠くなるほどの長年月を経なければとても悟ることはできない)」と書いてあることを聞いていた。

それで早速、大憤志を起して一人浴室に入って固く戸を閉めた。そして、腰骨を起して背筋を伸ばし、手を組んで両眼をグッと睨んで純一に坐禅したのである。妄想や魔境が次々と沸き起こり入り乱れ、それと格闘しているうちに、ついに妄想・魔境を払い去って深く無相定(三昧の境)に入った。

朝が開ける頃、すずめがチュンチュンと家のあちらこちらで鳴いているのが聞こえたが、自分の身体の感覚をまったく感じなくなっており、ただ両方の目が飛び出して地上にあるのが見えた。次の瞬間、爪の痛みを感じた。すると両目 は顔の元の位置に戻り、手足の感覚が感じられ自由に動かすことができるようになったのである。このようにして三日三晩坐り抜いた。

三日目の朝になって顔を洗って庭の木を見ると、通常の見え方とはまったく違っていた。近所の和尚にこのことを尋ねたが、よくわからなかった。そこで、私(白隠)に会って尋ねたいと思い、駕籠に乗って薩峠を越え子浦の風景を見た時、ハッと庭の木の様子が実は草木国土すべて成仏している姿であったということに気がついた。 そして、私(白隠)の室内に入って幾つかの公案を透過したのであった。

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最初にご紹介したクリスチャンの女性と全く同じ話ですね。やっぱりあるんです、こういうことは。先述のクリスチャンの女性はまだうら若い女性だったとか。何をそんなに一生懸命に祈ったのでしょうか。人生をテキトーに生きていたら多分、疑問は湧きません。私などはまだまだ随分とテキトーな部分はあると自覚はしてます。

私の師匠の師匠が昔、京都の建仁寺で修行していた折、寺の境内の一部だったか、崖に近いところにある階段があり、気を付けて登っていたのだが、美しい椿の花を見て何とはなしに手を伸ばしたところ見事に崖から落ちてしまい、頭を打った状態で仰向けになったそうです。その時、空が目に飛び込んできて流れる雲が見えたそうです。動きながら止まっている、止まりながら動いている。宇宙全体が動いている、そう感じる矢否や見照したそうです。

ちょっとした気付きや発見とどのくらい規模が違うのか分かりませんが、悟りとは非常に大きな規模の気付きや発見ではないかと思います。悟るとどんないいことがあるのか、人によって違うかも知れませんが、例えばお釈迦様の場合は有名な話しですが「生老病死」の理由を悟ったそうです。この理由が分かっただけでも素晴らしいと思います。

在家でも努力次第では必ずや見照できるというこの実話は、私たち在家にとってはとても励みになる話しです。ちなみに平四郎の子孫も上記の滝も、まだ健在です。

平成二十六年師走六日

不動庵 碧洲齋