不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

猿田彦をみた

通勤路にコンビニがあり、よく立ち寄ります。

時々朝に立ち寄って昼飯を買うとき、1人の常連客を見かけます。

乗っているライトバンや着ている作業着から、工務関係ではないかと想像しますが、印象深いのはその方の顔。

何かの病気だと思うのですが、鼻が巨大化して顔もあちこちがあばたっぽくただれています。

感じで言うと、手塚治虫先生の漫画に出てくる「猿田彦」のような感じです。いや「猿田彦」そっくりなのです。

しかしその人の目を見るともしかしたらただ者ではないかも知れません。瞳の澄み方や目力の強さが尋常ではありません。そして堂々としてかつ、物静かな感じの紳士です。手塚治虫先生の「猿田彦」が現実に現れたらこんな感じだろうなと思います。

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硬貨を機械に入れて、商品を受け取る。

お金と引き替えに、商品を受け取る。

労働対価として、お金を受け取る。

これは経済活動です。

恋愛はどうでしょうか。

相手を好きになる対価として、その人からの好意を得る。

愛する対価として、愛してもらう。

これは本当の「愛」ではありません。

このレベルは経済活動と全く同じです。

イエス・キリストも何度も説いていますが、本物の「愛」は完全無償です。

ある女の子を好きになって、その娘のために尽して、結局その娘が他の男を好きになってもまだ、幸せでいられたら、それは多分、本当の意味での「愛」かもしれません。対価を期待したらそれはもう、純粋な「愛」ではありません。自分を勘定に入れた「愛」は本当のところ「愛」ではありません。ま、「恋」とは言えるかもしれませんが。

私が好きな聖書の言葉があります。

「己を愛する者を愛したからとてどれほどの価値があろうか。そのようなことは罪人でも行っている。」これはなかなか厳しい言葉ですが真理を突いていると信じている言葉です。

周囲からの評価を高めるために労を費やす。

名を挙げるために労を惜しまない。

富や権力を得るために知謀の限りを尽す。

これもまた、自分と外の間で交された取引です。

一生の間に我と外の間で一体どれほどの「取引」が行われているのでしょうか。

一生とは言いません、毎日でも結構です。

多分、気が遠くなるくらいたくさんの取引があるはずです。

もちろん、中には希少だったり、素晴らしかったりする取引もあるとは思います。

その我と外の取引をなるべくしない、これが多分、自分を高める方法ではないかと思います。

それはなにも孤高を保てということではありません。

自分を勘定に入れず、慎み、常に他に感謝する、そんなところから始めれば良いと思っていますが、何かをする時に自分の損得勘定をなるべくせず、そして何事にも感謝の念を持てば、少しはマシな人間になるのではないかと、最近は思います。私の場合はそれを行じる手段として禅があります。人によって色々あっていいと思います。

他と誰かが得をする為、誰かと誰かの諍いを納める為、自分を離れたところの物事に集中してみてはどうかと思います。

そうは言っても遠いところで起きたことに何かをしろという事ではありません。今、そこで行われている自分の為すべき事に集中し、かつ自分を忘れるということです。現代においては遠いところで起きている事を知悉するという意味ではインターネットの機能は十二分に活かされて然り、文字通り遠いところで起きたことに救いの手を差し伸べられるならそうすべきです。

自分が他と取引をするためではなく、自らの存在意義を世に発揮する。

お釈迦様が最後に残したとされる言葉「自灯明」は明かりを余所に求めるのではなく、自らが輝いて他を照らす、という意味ですが、皆が皆、そうであったらこの世は本当に極楽になるのではないかとすら思います。

もちろん、「俺は他人の評価なんか気にしねぇ」と傍若無人に振る舞うのはもちろん良くありません。

誰もが自らのためではなく、常に他のために為すべき道筋が、これまたお釈迦様が残したもう一句「法灯明」ではないかと考えています。

最近も息子に話しました。他の人の明かりを頼りにしてはいけない。他の人ができないからと言ってできないと言ってはならない。この世に生きているのは誰かのためと言うよりも、宇宙全体がお前を必要としている何よりの証拠だから、自分にできることを探し出して、それを以て高く輝くことが肝心だと言いました。そしてその道筋はもしかしたらお釈迦様の教えの中にあるかも知れない(笑)。この「自灯明・法灯明」は本当に素晴らしい教えだと思います。

コンビニに来る猿田彦さんもきっと、他人の評価を気にせずに自分自身にできることに集中している菩薩のひとりなのかもしれない。時間があったらこの猿田彦さんについて息子と話し合ってみたいと思います。

平成二十六年霜月十一日

不動庵 碧洲齋