不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

奥秩父へ修行の旅

年に一度、妻の友人家族が上京してくる時期に独り旅ができることになっています。昨年は長野県飯山市の正受庵。今年は奥秩父にしました。 よく考えると奥秩父へは今年で3度目。珍しい。 埼玉県はそれほど大きくはないそうですが、関東地方にある県として、南北には行きやすく、東西は不便になっています。道路も鉄道も東京には行きやすいようになっているということです。 少し前までは奥秩父はどん詰まりになっていて、長野県には抜けられなかったのですが、ここ数年はトンネルも開通して往来しやすくなっているものの、それでもまだ秘境のようなところもあります。 秩父鉄道は埼玉県北部にある羽生市羽生駅から埼玉県最西端にある三峰口駅まで通っているローカル線です。週に一度、SLが走っているので割に有名です。私も息子と乗ったことがありますし、通過するのも見たことがありますが、SLの迫力の凄さ。昔の人が大志を抱いて上京したり、郷愁が募って旅路に就く気持ちが分かろうというもの。今時の電車ではとてもそこまで行かないのではないかとすら思います。 22日、昼前に家を出て春日部にあるお気に入りのレストラン「納屋」に。 内装もさることながらシンプルでおいしいランチを出してくれるのでこのところ利用回数が増えてます。 11月ともなると稽古は普通に胴着を着るのですが、この日はなかなか暑く、珍しくTシャツで稽古。当流では胴着に関してはあまりうるさくありません。もっともだからと言ってだらしない格好はよろしくないのでその辺りのさじ加減かと。 稽古を終えてから一路秩父へ。この日は秩父市街の旅館に泊まることにしました。 秩父駅に着いたのは20時頃。驚いたのは意外にもそこまでの乗客が多かったこと。時間も時間だし、場所も場所なのでほとんど人はいないだろうと思いましたが、思ったよりはずっと人が多かった。 旅館は駅から近いのですが、夕食は外で食べねばならなかったので色々物色しました。思ったよりは食べられる店は多かったものの、コンビニで現金を引き下ろした後、そこでカップラーメンなどを買ってそのまま旅館に行きました。旅館はごく普通の比較的長期滞在に向いているような宿でしたが、安い割には特に不満もなく。カップラーメンを食べて坐禅を1時間ほどしたら風呂に入る気力もなくなったのでそのまま就寝。その前後に久しぶりに携帯から地震警報が鳴り、驚かされました。テレビをつけると長野県で震度6弱とか。秩父も少し揺れましたが、埼玉県の西側にしてはそれほど揺れた感じではありませんでした。 翌日は5時に起き、やはり1時間ほど坐ってテレビなどを見てから朝食。 いや、参りました。朝食のおかずの多いこと。照り焼き風の魚の切り身、明太子、すり下ろし大根とシラス、ハムとポテトサラダ、納豆、豆腐、味噌汁、デザートにヨーグルト。仕方ないので全部食べました。私が毎朝自宅で作る朝食はせいぜい1-2品なので感激でした。 工事関係者の方が5.6人隣のテーブルで食べていました。 会計を済ませ、早めの出立。5700円。時期的に旅館を見つけること自体が難しい事を考えると安くてよい旅館だったと思います。旅館名は「旅館 八重垣」駅から徒歩5分ですぐ近くに道の駅秩父もありますからお勧めです。 秩父神社に行きました。年始の準備なのか年末の何かの祭りのためか、氏子たちが集まって蔵から何をか運び出していました。
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秩父神社には初めて行きましたが、かなり古く格式のある神社と見ました。手水舎の彫り物の緻密さや古さにまず驚き。本殿は日光東照宮のような感じのデザインでしたが、その内の一つ、子育て虎は左甚五郎の作とか。本殿の各面を飾る装飾品は非常に素晴らしかった。
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ご神木の銀杏の木も極めて巨大でした。もう1本あったようですが、多分枯れてしまったのでしょうか、かなり大きな切り株が隣にありました。
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神官や氏子の皆さまの挙動や表情を見ている限り、この神社はとても大切に守られていると感じました。
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その後、秩父駅に。予定していたよりも1本前の電車で一路三峰口駅まで。 9時半頃に到着。バスで途中までと考えていましたが、紅葉観光のためでしょうか、人がどんどん増えてくる。それならということでそのまま徒歩で寺を目指しました。距離にしておおむね10キロ。駅から荒川沿いを歩き、支流分岐点まで約4キロ。支流から古道まで約4.5キロ。古道は登山道で約1.5キロ。道中写真などを撮りながら歩きました。古道には十三仏像があり、昔の面影を残します。 初めて寺に行った時は息子とここを下りました。 道中はどこも素晴らしい紅葉でした。こんなに丹念に紅葉を見たのは久しぶりな気がします。 そして何より黙々と歩けたのが嬉しかった。
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12時頃に寺に到着。菓子パンを二つ食べ終えた頃に住職が買い物から戻りました。連休で忙しいだろうと想定してましたがその通りで、まずシャワーを浴びさせていただいてから頼まれたのが山積みになっていたシーツ畳みと部屋掃除、座禅堂の整理、ついでに境内のゴミ拾いもしました。その間に住職はまた所用のため出掛けました。その後少し時間があったので座禅堂にて1時間半ほど坐り、頃合いを見て本堂に戻る。ぼちぼち車での宿泊者がやってきたので、離れている座禅堂で坐るのは無理と判断、本堂で坐りつつ待ちました。その間に宿泊客を客間に通したりお茶を運んだり、参拝客の対応をしたり。
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トータルで1時間程度坐ったような気もしますがともあれ夕刻には総勢13人の宿泊客が集まり、写経の準備とその説明。そこでまた時間が空いたので1時間ほど座禅堂でまた坐る。 時間になると本堂に戻り、入浴の説明と法話の準備その他。一組の入浴を終えたところで晩課。13人のうち一度でも坐禅をしたことがある人は1人だけでしたから、私が読経の声を上げざるを得ず。ま、前回もでしたけど。そして薬石の準備。机を並べ替えたり、膳を運んでもらうよう頼んだり。みんなで薬石を食べてくつろいだ頃合いで住職の法話。寒いので客間にて。薬石は皆さんおいしいと言って結構食べました。私も腹一杯食べたかったのですが、あまり食べると後で坐れなくなるので9分目ぐらいに抑えました(笑) その後残りのグループの入浴と希望者の坐禅指導・・・え?また私が?(笑) 10人前後を引き連れて座禅堂に。真っ暗であろうと思ったので今回は懐中電灯も持って来ました。 一通り作法を教えて今回は10分(笑)。多分初心者にはこのくらいがよいと前回経験したので。 10分を終えてからみなさんを本堂に戻して、自分はまた1時間半ほど坐りました。結構歩いたせいかいつもより足が痛い。情けないと思いつつ、20分ごとに抽解を入れて4回ぐらい。 坐っている間に落石の音を聞きました。そこそこ大きな石だったと思うのですが、どうだったのでしょうか。 それから本堂に戻りましたが、その時多くの方々が外に出て夜空を眺めていました。 思わずため息が出そうなくらい見事な天の川でした。 文字ではちょっと言い表せないほど。 この星も夜空の星々と同じように光っているのであれば、一層高貴な色を天に放ちたいところです。 22時に就寝。 真夜中、本堂前では鹿たちがやってきて遊んでいたようです。2時前後は本当にうるさかった。 5時少し前に起床。着替えて座禅堂に。 空はまだ星空で、就寝前に見えなかった北斗七星などが見えていました。 座禅堂で6時半まで坐りました。やはり疲労のせいか、足がすぐに痛くなり、最初だけ40分、後は20分ずつ。 7時から朝課なのでみんなを集めて準備。 大学生が2人来ていて、他の部屋に泊まっていましたが、出てこないので起こしに行くとビックリ。ヒーターをガンガンに点けたまま、爆睡してました。ヲ・・・ヲィ・・・。布団はたくさん余っているんだから(実際にたくさん掛けていた)ヒーター要らんだろ。しかも7時近くまで熟睡って。まあ、これが今時の大学生なのか。朝課の前後もコックリさん。比較しては何だけど、うちの息子は寺に泊まりに来て最低でも6時過ぎまで寝てたら懲罰ものだとか言っていました。私もそう思う。 その後に座禅堂にて住職指導の下、10分を3回の坐禅。 それを終えてから粥座。お腹が減っていたのでたっぷり食べました。 それからは少しくつろぎましたが、寺の犬千寿くんをつれて散歩。デカイ犬の力は凄い。ガチだったらちょっと負けるかも、というぐらい力が強い。 今回初めて、建設中の「カフェ千寿」の中に入らせていただきました。 寺の建造物群とは全く違う、西洋風の建物がしかも境内入口にあるのが特徴ですが、中に入ってビックリ。見た目以上に中が広く、素晴らしいデザイン。いや本当に。ビフォーアフターに出てきそうなくらい、お洒落な建物です。屋上でも珈琲を頂き、今回のメンバーで写真を撮りました。 カフェのオープンは、住職曰く「いつだろうなぁ~」でしたが、押しの強い宿泊客にせかされて一応「来春」とのこと。私も楽しみです。 秩父の名所がまた増えます。このミスマッチさと秘境さが強烈な売りだと思っています。 12時少し前に皆さんの出立に合わせて寺を出立。今回は普通の客として予約したのですが、結局ボランティアスタッフ扱いでした(笑)。この忙しい時期ですから絶対にそうだと思いましたよ。しかし労働なくして食べてはいけません。この作務はとてもありがたいものなのです。坐る時間もまずまずありましたし。 ちょっと出来心で下りの古道1.5キロ弱を走りました。車道は大きく迂回してます。出るのは私よりも少し後でしょうけど、そんなに大きくは変わりません。結果、1.5キロを15分で降りました。車道に合流して飲み物を買い、車道を歩いていると後から送迎の車が来て住職が早さに驚いてました。こういうのも修行の一つです。 山下りはこつがあれば疲れたりひざを痛めずにかなり早く降りることができます。書くと長くなるので割愛しますが。帰路も車道に出てからは普通のペース。往路とは違う時間帯なので景色の見え方も異なり風流でした。
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往路は2時間半、復路は2時間でした。 一番驚いたことは、駅から1キロの辺り、特別養護老人ホームの前の道に猿の群れがいたこと。20匹はいたと思います。リーダー猿だけが啼いていましたが、人が通っている事への警戒だと思います。さしずめ「おーい、人が通るぞー」みたいな感じでしょうか。日光の猿とは違って襲ってくることもなく、写真を数枚撮りました。ここまで近いのは初めてです。
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三峰口にたどり着くと、ブォーッという汽笛の音。丁度SLが来ていました。出発前なので先頭は反対向きでした。1本早い列車に乗れそうだったのですぐに乗りました。出発時にSLが見えました。 少し腹が減ったので、ジュースと共に持っていたミックスナッツを少しほおばり、後は熟睡。寄居駅を過ぎた頃に起きました。帰りの観光客が増えて立っている人もいたほど。 熊谷行きでしたので熊谷駅ですぐに乗換、それから羽生駅に16時頃。幾度か乗り継いで自宅最寄り駅に17時の着でした。自宅に着くと誰もおらず(妻子は妻の友人たちと出掛けている)、近所の山田うどんで食べて、旅装を整理、ゆっくりしたところで思ったよりは早く妻子が帰宅しました。 今回はもっと坐るつもりでいましたが、計算すると7時間程度坐ったことになります。作務も精一杯やったことですからまずまずよしとしましょう。歩いている最中も経行を心掛けたので、それもなかなか良かった。自分を勘定に入れず、ひたすら作務に尽して、余った時間で坐るという結果になりましたが個人的にはよかったと思っています。来週から臘八坐禅会が始まりますので、毎日往復12キロを自転車で1週間、通わねばなりませんが、これもまた精進に励みたいと思います。 平成二十六年霜月二十五日 不動庵 碧洲齋