不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

秩父観音霊場巡礼 2014 その1

父が急逝した2007年、私はふと父の霊を弔うために県内秩父市にある秩父音霊場の巡礼を計画しました。実際に1番寺である四萬部寺に行って巡礼関係の道具を買ったのですが、色々忙しく、そのまま行かず仕舞いになっていました。 秩父音霊場は34の寺院が約100キロの道で成り立っており、創建は1234年頃とされています。江戸時代にはたいそう栄えたそうです。関東地方の人からすると四国の巡礼はあまりにも遠く、そして距離的にも2000キロというのは途方もない費用と労力を要します。いずれは行ってみたいとは思いますが、今少しスケールダウンしてと思った場合はこの秩父が一番よいと考えます。 志してから7年、やっと時機が巡ってきました。 この7年は多分、自分の内部では色々大きく変わったものがありました。 無論、今回も両親や先祖の弔いもありますが、私自身の祈願も込めて廻ることにしました。 それは将来のことについてですが、幸いにして天命前に自分が将来為すべき事、人生を賭けて尽力すべき事が見えてきた兆し是あり。今は伏せておきます。 今回の巡礼は時間の関係もあって今回は10日の1日のみでしたが、一応4.5回に分けて1年に1回として50歳までに結願するつもりではいます。 巡礼の共となったのは露国の武友。2008年頃から懇意にしています。 朝5時過ぎに家を出て7時前に四萬部寺に到着。先に境内の撮影などをして時間を過ごし、8時少し前に巡礼用具販売所が開き、武友の分の用品を買いそろえました。 恐れ入ったのは四萬部寺のご住職。スカイプでロシア人とも話したことがあるらしく、端々の単語ですが流ちょうなロシア語を話していました。曰く外国の方の巡礼は多いが、ロシア人は初めてとか。早々に出立するつもりでしたが、色々話し込んだりして結局四萬部寺を出たのが8時半過ぎでした。しかし色々話しが聞けたり、オマケで色々いただいてしまいました。 平日と言うことで年配の方が多く、歩きの人は私たちを含めて少なかったように思いますが、歩きの方々もいわゆるリピーターっぽい方が多かった。 今回は1-5番までしか歩いてませんが、巡礼道は結構整備されていて、ごく簡単な地図だけでも十分に歩けます。今回は1番までは車で来て、1-5番までを廻り、距離的には短かったので私は頭陀袋のみを持ちましたが、まず巡礼は電車の方がよさそうです。なぜなら車があるところに戻らねばならないのでちょっと大変でした。実際の巡礼は10キロちょっとでしたが、5番から1番に戻るのには徒歩だったのですが、それが5キロ近くあった。バスは1-2時間に1本なのでやはり無駄を避けるために電車などがいい。荷物はちょっとしたリュックが良いと思いました。店で売っている頭陀袋は容量が少ない。ただし市街地の中に多く散在する寺を廻る場合はすぐに色々取り出せる頭陀袋もあった方がいいのかも知れません。 1番札所四萬部寺
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読経ですが、最初だけ真言を除いて四国霊場と同じようにしましたが、一緒にいた講中を聞いていると、ほとんど私が毎朝やっている読経と同じで良かったようです。2番目からは毎朝の読経に真言を加えて不動経を除いただけにしました。また、暗記していても経典を広げると言うことでしたが、やはりこれも口頭で読経しました。あと蝋燭の灯明も今回はやりましたがどうなんでしょう。線香と札でもいいじゃないかとも思うのですが・・・。 御朱印には時間がかかることが分かりました。今回は平日だったので、どんなに多くても4.5人ぐらいしか待たなかったので大したことがなかったのですが、これが10人以上だったら結構待ちます。やはり巡礼は平日が良いかと思いますが、夏や冬はもちろん避けた方がいいでしょう。厚着をしたり暑いときの巡礼はちょっと大変です。 年配の方が多かったように思います。まあ観光なんでしょうね。本当に何か祈ったり弔いたい人は廻るのがいいと思います。途中、一度接待所があったので立ち寄りましたが、中には家族を一度に亡くして思い詰めてやって来る人もいるとか。私にはこの気持ちは分かります。接待所というのはごく普通の家でテントなどを張って漬物とお茶を出してくれるところです。秩父には幾つあるのでしょうか。とても親切な老紳士が2人、色々手作りの漬物を出してくれたのですがおいしかったです。
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歩きの場合は古道を通るのがお勧めです。非常に風流です。大半は普通の車道を歩かねばなりませんが、ごく希に古道があります。今回は1カ所だけでしたがとても素晴らしかった。 古道を歩く
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少し長くなったので、1番から5番までは次回に記します。 平成二十六年神無月十四日 不動庵 碧洲齋