不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

なぜ戦争が起きるの?

Q.なぜ戦争が起きるの?

A.戦争が起きるのは、みんながじゅうぶんに話しあわないからね。

by アレックス・クロフォード(戦場記者)

母方の祖母は今の高崎で生まれ、貧農でした。

そして祖父はその貧農に土地を貸していた豪農の息子でした(多分次男か三男辺り)。

当時としては珍しく相思相愛になり、仲を認められるわけもなく2人で東京に駆け落ちしました。

住んだ先は浅草。そこで草履や下駄の鼻緒作りをしていました。

長女と次女が生まれてしばらくすると、日本は米国と戦争になりました。

戦争が始まってから待望の長男が生まれました。

少し健康ではなかった祖父でしたが、昭和19年初め頃に海軍に徴兵され、サイパン島最後の増援部隊を乗せた輸送船に乗り組みましたが、到着前にあえなく潜水艦に撃沈されてしまい、戦死してしまいました。

それから終戦まで何度も空襲があり、時には米軍戦闘機からからかわれて銃撃を喰らったりしましたが、幸い家族は主人以外は誰も死ぬこともなく生き残りました。

戦後は孤児の女の子を1人引き取りました。

戦後裕福な人と再婚したものの、そこの女中と不倫をした末に家を追い出されました。二人目の夫の子供も一緒に出ていきましたから、合計5人の子供がいました。

追い出されてからたどり着いた先は台東区清川町、昔で言うとサンヤと呼ばれる貧しい人たちが住んでいたところです。しばらくは本当に赤貧の生活だったそうです。

私の母は次女でしたが、小学校低学年の頃から祖母を手伝って、祖母が内職で作った履き物の部品を松屋まで自転車で持って行ったそうです。

周囲の人たちはどんどん豊かになるのに、中学校に行ってもしばらくは白米を食べることも出来ずにサツマイモを弁当に持って行き、本当に恥ずかしく思ったそうです。だから私が子供の頃はサツマイモを食べようとすると母から非常に怒られたり、嫌な顔をされました。しかし母が夜中にこっそり1人で食べていたことも知っています。

母が中学校を出て調理専門学校を出てから祖母の手伝いをして、私の父と知り合って結婚するまでは日本が豊かになってきた頃で多分、少しは楽な生活になってきたのだと思います。

しかし、母が結婚して5年、私が生まれて4年目、がんになりました。それまでずっと働き尽くめでそれまで心底ゆっくりと休んだことがなかったそうですが、はじめて病床でゆっくりできたそうです。

祖母はある日、母にノートと筆記用具、アルファベットのテキストを買ってくるよう頼みました。理由を聞いたところ、祖母はこう答えたそうです。

「病院で色々考えてみたんだけど、やっぱり戦争が起きる理由はお互いによく話し合わないからだと思う。だから今から英語を勉強して世界中の人と話せるようになれば、戦争は必ずなくなると思う。お前も子供には必ず英語を学ばせなさい。」

それまで生きることに必死で、どうして戦争が起ったかなど考えたこともなかったそうです。そして同じく自分の夫を殺した相手についてもほとんど良く知らないままだったそうです。祖母はその事実に驚いたそうです。

結局、祖母がどのくらい英語を学んだかは分かりません。

ただ、母は私に機会がある度に英会話を学ばせようとしていましたし、私が武道を始めて、非常に多くの外国人たちと交流を持つようになってからは英会話教室に通うようになりました。

今私は世界50ヶ国以上に友人が点在しています。海外に住んだこともあります。年に1.2度、商用を兼ねて海外に行くこともあります。そしてインターネットや武芸を通じて交流を持ち、日本についてたくさんのことを発信しています。日本のことをより良く知ってもらい、それを世界の平和の為に役立てる。

私がインターネットや武芸においてたくさん書いたり話したりしている原点は、ただひたすらこの祖母の想いを遂げたいと思うからです。そしてこの気付きは真理だと思っています。

息子は今11歳ですが、すでに1年ほど奇遇にも祖父がたどり着けなかったサイパン島に住んだことがありますし、私と2度もロシアに行きました。息子には世界中の人と普通に話せること、行くことは何でもないようです。

私の血が続く限りは、是あることを決して止めないと思っています。

・・・近頃、近隣では中国や朝鮮に対して互いに相反している様子を見ると、この祖母の言葉を思い出します。私は中国史マニアですが別に今の中国政府を擁護する気は全くありませんし、中国人の悪しき習慣というか習性についても寛容になるつもりも全くありません。同じようにいびつと言って差し支えないほど愚かな奇行を重ねる朝鮮人たちに対しても別段これ以上日本が譲歩することもないと思っています。

しかし今の、特に意味もなく愛国的だったり、中韓に攻撃的だったりしている人たちを見ていると、一体どのくらいの人が実際に彼の地の人たちとじっくりと話し合ったことがあるのか疑問です。要するに知らないが故に攻撃的になっているように思います。スケールと過激さではかなりレベルは上ですがアラブとイスラエルの確執のようなものです。私はこれを恐れます。

私は昔も今も中国人とは政治の話も含めて話す機会はありますし、韓国人とも仕事で話すこともあります。留学時代は政治や歴史の話しもしました。

息子にも直接、何度も中国人に引き合わせて交流させています。息子も今の中国の様相は好きではありませんが、ネット上でよく見かける、薄っぺらい敵対心ではありませんし、祖国愛にしても同じく根拠が薄弱なものではありません。そういう敵対心や祖国愛は百害あって一利なしです。そういう人たちを見ると時々気分が悪くなることすらあります。

百歩譲って緻密に情報を集めて法的、論理的に日本の立場を固めている人たちがいます。そういう仕事は尊いと思いますし支持もしています。私たちの祖国を守る。ある意味防人ですが、そういう人たちは大抵、反日国家に敵愾心で気炎を上げるでもなく、粛々と淡々と一つ一つこなして行っていることを私は知っています。ある意味、無闇に愛国心をがなり散らしたり、反日国家を下品に叩く行為は上記の人たちが行っている事業、行為を無にするとも言えます。

私も息子も相手を良く知る交流の積み重ねがあってこその今の判断をしています。敵だと想っている相手を色々な意味で攻撃すると、ほんの少しだけ気分が高揚したり、得意になりますが、その実何も稔りませんし、建設的な意味で高まることもありません。第三者から見ればおぞましいとすら思えることの方がよほど多い。

私は日本人としてそれを一番恐れます。

世界で一番古い王族を戴く、世界で一番古い国の民としてどうあるべきなのか、これはいつも私を悩ます問題ですが、常に立ち居振舞や言動に品位を持ち、他から敬意や信頼を勝ち取ること、自分がどうかではなく、周囲を巻き込ませ、それをよりよい方向に持って行ける影響を持つこと、日本人はこうあらねばならないと思っています。それはもしかしたら天皇陛下も同じ事をお考えかも知れないと、浅慮するところです。

直接会ってひざを交えてよく話す。これは自分が試されます。習慣や文化、風習、学識、品位全部が一度にさらけ出されます。特に言葉が通じない相手、違う国の人間の目に映ったとき、どんな日本人に見えるか、私はいつもそれを肝に銘じています。

平成二十六年神無月九日

不動庵 碧洲齋