不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

志従悟

志従悟と 空に木霊す 神無月

旅路半ばの 心革に

平成二十六年神無月吉日

不動庵 碧洲齋

今朝、徒歩通勤の途中で浮かんだ駄句です。

今日から45歳ですが、もう45年も生きているのかと思う以外にはあまり感慨深いものもなく。

論語では40歳を「不惑」、50歳を「天命」と呼んでいますが、右往左往しなければ自ずからすべき事が見えるという辺りが正解のような気がします。つまりそれは元々そこにあるが、自らの手でブレさせているに過ぎない。

禅宗でも良く言われるのが、私たちは既に悟り切った境地の中にいるのだが、それに気付いていない、坐禅はそれの気付きのためなのです。私もそんな気がします。 不惑と天命の丁度中間で気付けたことは多分自分の功績と言うよりも極めて優れた師匠や友人たちによって支えられてきたからだと感じます。

幸いにしてここ2.3年ぐらい前から何となくぼんやりとしたものですが、将来はこうしていくのだろうなと言うものが見えてきました。天命前にそれが悟れたことは有難いことです。

不思議なもので、道が定まるとはじめて、その為に予め備えられていたものが自分の周囲に何と多いことか。私は運命とか宿命というものはあまり信じませんが、それの種のようなものはあるとは思います。

今後、私の生き方はそれに従ったものになっていくと思います。

ふと悟った天命に志を従えるまま、クリアになった目標を前に、今一度心を引き締め直す。

そう思うのでした。

SNSなどでお祝いの言葉を贈っていただいた友人各位には本当にありがとうございます。そして今後とも長く御友誼の程、宜しくお願い申し上げます。

平成二十六年神無月八日

不動庵 碧洲齋