不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ブログ変遷

私が初めてブログを書いたのは10年以上前の2004年6月27日のこと。

当時は楽天を利用して「彩時記」と称していました。

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2004.06.27

彩時記 筆初め

世の古典に「歳時記」なるものがありますが、私はこの世に唯一、絶対性を持ち、無常に流れゆく「時」に、いかほどかの人の織り成す彩りを添えられればと思い、「彩時記」と命名しました。想うことがあるときは、ここにて拙言を綴るかと思います。

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想うことあるときに綴っているのは今も同じですが、思い返せば「歳時記」とはなかなか雅だなと思った次第です。楽天ブログ「彩時記」は2007年1月8日まで約2年半綴りました。

その後に始めたのがMIXIブログ。

2007年1月9日の稽古始め

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門のこと

今日は今年初めての宗家の稽古に参加した。

いつもながら「え?」「は?」「・・・」「分かりません」「俺は一度死んだ方がいいな」「俺は相当、痴れ者だな」「・・・俺には言葉が見つからぬ」と、大体こんな言葉のオンパレードが頭の中をBGMのように駆けめぐらせながらの稽古になる。

技については奥義故、お教えできぬのだが!(ウソウソ、文字で書いてもつまらないだけです)おもしろかった話しを一つ。

鬼門について。対峙する場合、当然共に鬼門となる方角が存在する。格闘の世界では当たり前。古風に言うとそれを「鬼門」と言う。風水とか色々なものでも使われる言葉だ。しかし宗家は「鬼門」にこそ活路を見いだせとおっしゃっていた。「鬼門」こそ「機門」であり、そこをくぐってこそ「生門(きもん)」なのだ、と。翻訳していた外国人(彼も結構日本語は理解できるはずだが)は残念ながら全然意味が分かっていなかったようだ。当然、多くの外国人は知る由もない。(ちょっとだけ優越感に浸ってしまった)もっとも日本人でもこの言葉の虚実を理解していた人が何人いたのだろうか。ともあれ今日は日本人でよかった。

戦力5が戦力10に囲まれたとする。中央に4、その左右に2、そしてその更に外側左右には1ずつ。その場合、鬼門は中央の敵になる。普通は一番弱いところから狙おうと思うのが人情。しかし実際は中央を叩くのが絶対に得策。セオリー通りに中央4と戦うと、戦力5は4割ダウンで相手の中央4を壊滅させることができる。(味方2乗-敵2乗=味方残り2乗という数式だ)

中央を撃滅すると左右はそれぞれ3ずつ。確かに倍する敵だが、ここからは心理作戦。勢いに乗ると押された側は倍する力でも、どっちが先にやられるかとビクついて、結局やられる。大したことでなくても、勢いが付くととてつもないパワーを発揮するものだ。勢いについて不朽の名作級の金言が「孫子・兵勢編」に書かれている。まさにこの通りだろう。「勢力」転じて「生力」と成せば、なかなか意義深いのではなかろうか。

「鬼門」と「生門」なるほど考えさせられた。

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今読んでなかなか面白かったので、あとで訳してFBの同門にでも紹介したいと思います。

2007年は父が急逝し、色々なものから急き立てられ、追い詰められ、脅迫され、道を違い、武芸で鍛えて強いとばかり信じていた心がポキリと折れかけた年でした。今のところ人生において最悪の年だと思っていますが、非常に大きな転機のあった年でもありました。

父の急逝から精神的に下り坂で、2007年9月から翌年3月がMAXで危なかった。今だから言いますが、本気で自殺を3回ぐらい考えました。子供がいなかったら多分実行してました。精神状態と投稿回数は比例するようで、この年の9月はたった4回、10月は3回の投稿しかしてません。翌年の1月と2月に至ってはたったの2回ずつで、月間投稿数の少なさとしてはもちろんこの10年で最も少ない。今振り返ってもかなり危険な精神状態でした。

このヤバかったど真ん中の11月、およそ思い付く限り幸運としか思えぬほど良師に出会いました。

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2007年11月17日

本然の我を知り、そこに還る時、道中の明りを灯すのが師ではないだろうか。

先日、新たに道中の灯し人の知遇を得た。

故に歩むべき道に誤りがなかったのだろうと思う。

灯されるに値する言行を慎しんで行いたいと思う今日この頃。

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この師のお陰で命がつながったと言っても過言ではありません。金運とか女運からは見放されてますが、こういう師と出会える運はかなりよさそうです。

2008年春からは今の会社に入りましたが、入社直後からリーマンショックで1年ぐらいは目も当てられない状況でした。しかしその前の半年に比べたら天国のようなもの。厳しい環境は我が身を鍛えるというのは本当です。

MIXIブログは約2年続き、2009年12月から現在のウェブリブログに、不動庵ドメインで移りました。

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2012年12月1日

碧眼録 事始め

不動庵 碧洲齋と申します。

私は元来日記にはいささか無精ですが、四方山話や何かを書き記すことは好きで、中学の頃からよく物語や格言警句、自分なりの思想哲学を書き留めておりました。

世は移り、電網世界がこのように驚異的な広がりを見せている今、私も例に漏れず自宅や会社でパソコンと向き合って仕事をしています。また、携帯電話の進化も恐るべきものがあり、それ故、思ったときにすぐにどこからでも書き留められるというユビキタス社会の恩恵を受けている今、それを十全に利用してみたいという欲に駆られます。

ブログ歴は5年半、楽天ブログ、mixiと移り、今回に至りました。

私の號「不動庵 碧洲齋」と「碧眼録」について、暫く綴ってみたいと思います。

ご興味のある方はしばしお付き合い下さい。

私は不動明王を深く信仰しております。不動明王は酉年の守護者であるとか、修行をする者達の守護者であると言われておりますが、特に深い意味があるわけではありません。何となく私の守護者のような気がするのです。私が足繁く修行のために赴く禅寺も不動明王が祭ってあります。そんなところから初めてHPを立ち上げた折、「不動庵」と称しました。

20年程前から私はBruceという英語名を用いております。

外国人と接することが非常に多く、留学などを経験させていただきましたが、不幸にも私の名前は外国人にはいささか覚えにくい発音のようでした。そんな折、米国人でかの米陸軍特殊部隊、グリーンベレーを除隊した同門と稽古の手合わせをした際に彼の口から「キミはブルース・リーに似ているからブルースと呼ぼう」という提案がありました。あのブルース・リーに比せられるのは気恥ずかしくもありましたが、ブルースという名前は格別に格好良く感じたものでした。以後、多くの外国人の友人は私をブルースと呼びます。

息子の初節句の折、会社同僚の薦めもあって、我が家で実物大の甲冑を買いました。実際に着用が可能なので、近隣の時代祭、武者行列に時折参加します。その仲間内でネット上にて呼び合うときハンドルネームが必要なのですが、やはり趣味が趣味のため和風のものがよいということで色々考えたあげく、「ブルース」の音を漢字に当てはめ「碧(ブルー)洲(ス)」となりました。「齋」は武芸者が隠居したときによく付けたものらしいです。

碧はあおみどり、中国では義士が死ぬと、3年後にその遺体から碧色の血が流れ出るという伝説があります。洲は中洲にも使われますが、「国」の意味だそうです。奇しくも「ブルース」の名付け親もグリーンベレー出身、そんなところから「碧洲齋」が誕生しました。もともとはただのハンドルネームでしたが、今は私の武號となり、ブルースと双璧を成す名前となっております。

今回、ブログを新たに立ち上げるに当たって、碧洲齋の目線で見た、世の森羅万象を記録する、という意味から「碧眼録」と名付けました。禅宗の指南書に「碧巌録」という書籍がありますが、それをもじったきらいもあります。御一笑下さい。

これから私の趣味である武芸、坐禅二胡、甲冑、散文を始め、色々な方面で知己を得られたら嬉しく思います。何卒よろしくお願い申し上げます。

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以後、4年半以上、 今に続いています。

システム手帳の終わった月のスケジュール表ですが、ここ数年間は溜めていたものの、ほとんど見返さないのでとうとう数ヶ月前から捨てました。家に仕事を全く持ち込まないので手帳はプライベートなことだけで、プライベートなことで何かあればブログに詳細を書くので別段スケジュールにメモしたことは残しておく必要が全くない。スケジュール以外ではシンプルなエディターをかれこれ12年ほど利用していて、上記の過去のブログから何から何までおよそテキストベースのデータは全て入れてあるのでやはり手書きの手帳を残しておく必要がほとんどない。

・・・ということを書こうと思って過去のブログを開いたら、思いの外見入ってしまったということでした(笑)。

平成二十六年長月二十七日

不動庵 碧洲齋