不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

花子と戦争

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私(明治天皇)は祖先が遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったと信じます。そして国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで見事な成果をあげてきたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

国民は子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

このような国民の歩むべき道は、(皇室の)祖先の教訓として、私達子孫国民の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

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これは明治天皇が発布された教育勅語の現代語訳です。

我が家の床の間に父方の祖父が大正末に東京に初めて邸宅を建てた折に、著名な書道家に揮毫してもらった教育勅語の掛け軸があります。

私は折ある毎に息子に子の意味を教えてきました。最近は子の教えを見直そうという風潮が高まってきているようですが、喜ばしい限りです。

先日、息子とNHK朝の連続ドラマを見る機会がありました。

丁度、仲間由紀恵演じる蓮子の夫が花子を訪れ、蓮子が戦死した息子を想うあまり意気消沈しているので励まして欲しいと頼みに来ました。戦争直前、仲違いしていた花子でしたが、戦争が終わった今、花子はすぐに出掛けて蓮子に対して自分が子供たちに戦争を賛美して身を投じさせるようなラジオ放送に手を貸した罪に対して謝るというものでした。(仲間由紀恵さん、白髪でもあんな美人ってありですか?笑)

それを見ていた息子が言いました。

「それは違うと思う。それは間違っている。」

私もぎょっとしまして息子を見ました。息子は言いました。

「戦争は絶対に起こしちゃいけないけど、始まったららみんな一生懸命に戦わないといけない。みんな出来ることを一生懸命にやっていただけじゃないか。蓮子さんは可愛そうだけど花子は悪くない。」

というようなことを言いました。

少々感心しました。

戦争のない平和の中にどっぷり70年も漬かっていると、好戦的になる人が増えます。アニメや映画ではカッコイイ戦闘シーンを中心に視聴者の心を掴みます。もしくは根拠の薄い愛国心まがいを胸にした輩が粋がります。こういう連中は得てしてロクな思想を持ちませんが、それでも起きてしまったら国民は全力で国を支えるべきだと私は考えます。起きる前はもちろん、日本という国の名を賭けて、やはり全力で戦争を回避させるべきです。

息子には後世から見た戦争のあり方を見せたくありません。戦争が始まってしまった世界にいたら、反戦を訴える、平和を訴えるなどと言う軽薄で浅慮な人であって欲しくないと願っています。死にものぐるいで他国との摩擦回避に一国民として出来るだけのことをして、それでダメだったらやはり死にものぐるいで国のために戦うか、奉仕する。世の中に正しいことなどありませんが、こういう姿勢は正しいと私は思います。

息子にはいつも何かするに当ってよく覚悟を感じます。まあテキトーにやっていることもありますが、時々ふと怖いくらいに覚悟を感じます。信念があるとも言えるのでしょうか。世間体の善悪に振り回されない洞察力は持っているように思います。歴史を顧みて、未来を俯瞰して何かを決定したり見据えることが良くあるように思います。もちろん歴史と言っても私が言い聞かせている範囲ですし、未来というのは自分が夢見ている未来です。それでも息子には決して譲れない一線というか信念があるようです。

戦争についてはよく話します。端的に言えば勝てば官軍負ければ賊軍ですが、勝った側により多くの勝つだけの理由がある。負けた側にも言い分はあるにしてもやはり負けは負け。ただし先の大戦のように勝った国が寛大な処置に処さねばならぬほどの大度を日本が持っていたとも言えます。モンゴル、清国、ロシア帝国に勝って、更に米国にまで勝つという幸運はなかった日本ですが、過去の歴史になかったほどにはマシな処置だったと言えます。特に感謝はしませんが。極東裁判はムチャクチャでしたし、教育に関しては噴飯物で、再軍備に至っては「それ見たことか」とツッコミどころ満載ですが、賠償金も領土の割譲も厳しい経済制裁もなく、戦勝国から莫大な支援物資まで届いたという事実はいやでも何でも直視すべき事実です。それ以前の戦争では領土割譲、賠償金など、敗戦国は泣き面に蜂の如く色々課されていました。それに比べたら随分マシです。そうさせた日本の存在感に感謝すべきでしょう。

日本は一応民主主義です。みんなで選んだ政治家が物事を決めることになっています。だから彼らが色々考えてどうしても不可避な戦争になればやはり国民は従うべきです。これが民主主義というものです。何が何でも戦争がいやならそういう政治家を選ぶべき。完全無抵抗な政治家なら決して自衛隊を動かすことはないでしょう。もちろんその場合、国民に甚大な被害が出ても決して文句は言えませんけど。

息子にはその時その時のベストを尽すよういつも言っています。それが不幸に戦争であっても私は恨みません。今の大人たちがそのような状況にさせないという不退転の決意があればその不安もないでしょう。それだけの覚悟が大人になければ戦争もあり得ると言うことです。私は何が何でも戦争をさせないよう、海外の色々な友人たちに発信していますが、それでも最悪の事態には粛々と従うつもりです。多分息子もそれを是とするでしょう。

後々の価値観で過去に善悪のレッテルを貼る行為は、じゃんけんの後出しのようなもので意味がありません。それを理解できるかどうかと言う点において優れていれば、正しい意味で歴史から貴重な教訓を得られるものだと思っています。

平成二十六年長月二十五日

不動庵 碧洲齋