不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

覚悟して生きる

昨日、風呂場で息子にふと尋ねられました。

「ねえ、森羅万象って何?」

いきなり質問してくるのでその理由を尋ねると、「宇宙戦艦ヤマト2199」で戦闘機隊の隊長が、そわそわしている砲雷術長の様子を見て毒づいた時、「腰が据わっていないから森羅万象がぶれて見えるんだ」と言っていたからです。ちなみにこの隊長さんの実家はどうやら禅宗のお寺のようです。

「宇宙全部、俺もお前も地球も、宇宙に有るもの全部だ」

「ああ、なるほど」

「宇宙全部、森羅万象は一体何だ?」

息子はこともなげに「それじゃ森羅万象は仏だ」と答えました。

「そうだな、ぶれて見えている時は『自分』があるとき。ぶれていなければ仏に見えるんだろう、きっと」

息子はしばらく噛みしめるかのように考えていました。

風呂から上がると、丁度、所ジョージ北野武が司会をしている番組がやっていました。世界のおもしろ映像の特集のようでした。

その中で、チベット仏教の高僧が他界して、弟子たちが師匠の転生者を探す旅を紹介していました。私は前にも観たことがありますが、チベット仏教では輪廻転生が信じられ、高僧がこの世を去ると、弟子たちは生まれ変わりを探します。そしてその手順までちゃんと決まっています。

何故かチベット仏教(高僧の在住していた寺院はネパール)なのに台湾の占い師に手紙で占ってもらい、親の名字にAが付いて、何とか渓谷にいるという結果が出ました。それを受けて弟子の僧侶何人かが転生者を探す旅に出ました。

師匠の他界から1年半でその条件に見合った1歳半の子供を見つけました。そして幾つかのテストの後、間違いなくその子供が転生者であるこが確認されました。色々な手続きの後、3歳になるかどうかと言うところで親から離されて、高僧が住職していた寺で生活することになりましたが、その時の両親の表情が忘れられませんでした。しかしネパールでは信仰が深いのでしょう(仏教は帰依と言いますが)、両親は諦めたように息子を委ねていました。

今その子供は11歳になり、豪州で一般の子供と同じように学問も勉強しているとのこと。写真を見た限りは本当に賢く育っているようです。そういえば昔、勤務していた日本語学校の隣の部屋がネパール領事館でした。豪州ではよくチベット僧を見かけます。

それが終わってから息子に尋ねました。

「もし今、チベット僧がやってきて、お前が高僧の生まれ変わりだと言われたら、お前は家を去るか?」

息子は私の腕をぎゅっと握りしめましたが、やがて言いました。

「うん、たぶん行くと思う。行かなきゃいけないと思う。」

逆に私が焦りました。

「え?でも、他の国に行って全く知らない外国語を学んだり、仏教を学んだり、多くの人に祝福を与えたりするんだよ?」

息子は今度はすぐに返しました。

「大変だと思うけど、転生者かどうか関係なく行くと思う。みんなが必要としているならそれは使命だよ。」

すみません、このときは私が泣きそうになりました。10歳でこういう覚悟を持っているのかと、改めて感心しました。

日頃から御仏の尊さがどうのなどと偉そうに言ってますが、私より息子の方がよほどよく理解していると感じました。今自分にできることをする、という考えに揺るぎないものを息子に観た気がします。

昨夜は夜中に黄色とオレンジの衣を着たチベット僧が自宅に来訪する夢を何度も見て起きました。私の方が子離れしてませんね、恥ずかしながら。

今朝は一層、念入りに読経してから出社しました。

平成二十六年葉月十九日

不動庵 碧洲齋