不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

2014年男旅 其の弐

三峰口駅秩父鉄道の終点であり、埼玉県では最西端に位置する駅になります。言うまでもなく秩父山地のど真ん中。何人かゾロゾロ降りて改札外のベンチに座りました。駅の改札は「オールウェイズ」にでも出てきそうな、ノスタルジックを感じさせる木枠。
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駅前自体は小さくありませんが、店らしい見せもなく。息子と二人30分程度をジュースを飲んだりして過ごしました。周囲にいる人たちも大陽寺に行く人なのだろうかと思っていましたが、ひとりの女性から宿泊費を聞かれたので答えました。そうすると彼女たちのグループも宿泊組でしょうか。時間になってビックリ、宿泊者は結構いました。10-12人ぐらいでしょうか。住職のワンボックスと別のバンの2台で大陽寺に向かいました。大陽寺には車で2度ほど行ったことがあります。参加者ではもちろん、息子が最年少のようです。女性が6割ぐらい。中には中高生ぐらいのお嬢さんを連れた親子もいました。後で聞いたら中学3年生だそうです。皆さん美しい、上品な感じの女性が多いので本当に驚きでした。
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あいにく天候は曇りでしたがさすがに深山の古刹だけあって趣が良かった。以前行った時と違ったのは入口にヨーロッパ風の建物が建設中だったこと。ほとんど完成してましたけど。 本堂は箱形で仏教寺院と言うよりは普通の古い建物のような感じです。本堂以外の建物はさすがに普通の仏教らしい建物です。 座禅堂は今まで見てきた中では一番大きい。絨毯敷きでここでヨガなどもやれるようになっているらしい。廊下にも単があり、外の景色を見ながら坐れるようになっていました。 到着後、まずは写経。私は久しぶりです。息子は初めてでできるのかどうか分かりませんでしたが、猛然と写経を始めました。 私は比較的早く終えてゆるりと。お世辞にもきれいな文字ではありませんでしたが、念を込めて書いたつもりです。本堂を覗いたり、他の方々と会話をして時間を過ごしました。驚いたのは若い女性が多かったこと。普通の旅館やホテルに泊まらない辺り、何か思うところがあって来たのでしょうが、こんなに若い女性が多く来るとは思わなかった。 精進料理は淡泊なものでしたがお替りも頂けたので十分に食べられました。その後は般若心経と白隠禅師和讃、それから住職の法話を少し聴いてから解散。息子は疲れていたので法話の前に寝てしまいました。
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法話の後は自由参加で坐禅。住職が指導するのかと思いきや、薬石の後片付けのために来られない模様。私を含めて7.8人ほどが座禅堂に来るも、どうやらちゃんと坐禅をしたことがあるのは私だけらしく、やむなく簡単に手ほどきをしました。どうして宿坊に投宿して自分が坐禅の手ほどきをするんだと内心苦笑しましたが、読経する辺りで多分ある程度禅をやっているのは私だけだから、皆をリードすべきかなとも思いました。 初めてなのでまずは25分と思いましたが、本当の初心者には20分も辛かったようで、丁度20分で切りました。その後、経行をして帰る方はどうぞと行って残ったのは私以下2名。もう1柱、20分坐り、解散しました。 部屋に戻りすぐに寝ました。22時過ぎ。他の方々の多くは起きていたようです。
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翌朝は4時半過ぎに起床。5時前に座禅堂に行きましたが、どうやら誰も来ていなかった模様。5時半になると息子も来て二人で座りました。窓際の単は非常によかった。普通に2柱座れましたが、結局早朝に来たのは息子だけでした。
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その後、朝課があり、座禅堂横のお堂に集まり読経を聞きました。ここの住職の読経はものすごい早さなのですが、今までに聴いたことがないくらいでした。臨済宗ではこういうのはあるのでしょうか。 住職が指南した坐禅は5分を3回程度、交替で窓際の単に坐りました。なるほど初心者にはこのくらいの時間が良いのかと感心しました。 坐禅後はお待ちかねの粥座。9時近くを回っていました。 その後順次出立準備でしたが、当初予定していた三峯神社の踏破は無理と判断。寺から山を下り車道に出たところで帰りの車に拾ってもらうことにしました。息子がどうしても山道を歩きたいというのでいい機会だと思いました。 10時半前に出立。山道を下りましたが、ここは大陽寺の古参道ようで、道中に幾つもの仏像が安置されていました。
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11時頃に車道に出ました。丁度鮎の釣り堀があるところです。そこから息子とのんびりと少し歩いていると住職のワンボックスが追いついてきました。 帰路は色々話しをさせていただきましたが、割に気さくな住職で好感が持てました。また機会があったら行ってみたいと思います。 帰路はみんなと仲良くなりましたが、中でも比較的よく話した女性投宿者がいました。日頃から向学心に富んだ人というのはキラリと光るものがあるものです。家も私と同じ市だったので、一緒に帰りました。思った通り、外国語に堪能で常に何かを学ぶ事に意欲的な方でした。しかもその方の祖父のお墓は、私が日頃から坐禅に通っている寺の檀家だとか。世界は狭いものです。 乗換駅の羽生ではちょっと休んでいこうと言うことになり、たまたまあったソフトクリームやさんで一息つき、東武線に乗ろうというところで重大事件が起りました。息子がリュックサックを背負っていない・・・。息子にはすぐソフトクリーム屋に取りに行くよう言いましたが、戻ってきてから息子は秩父鉄道の車内だったと言いました。そう言えば私の愛用の麦わら帽子も一緒に荷物棚に乗せたままでした。そうだった。秩父鉄道では2時間程度乗っていなければならなかったので、荷物棚に乗せました。慌てて駅員に掛け合ったところ、その車両は間もなく熊谷に到着するとのこと。本数が少ないので車両の特定は非常に楽なのです。すぐに荷物が熊谷駅で改修されたことが確認され、我ら親子は一緒だった女性参加者と別れてまた秩父鉄道に乗りました。羽生から大体30分。往復で1時間以上かかりました。ともあれ荷物は無事で良かったです。 その後は東武線で何度か乗り換えてから最寄り駅まで。駅からは徒歩で自宅まで戻りました。ヤレヤレ。 帰路に息子に一番印象に残ったことは何だったかと尋ねると、それは意外にも写経だったとか。10歳の少年には般若心経の写経は結構大変だったと思いますが、それをやり遂げた達成感が良かったのでしょう。私のは寺に納めて、息子のは持ち帰って仏壇に供えました。息子の功徳がまた上がった気がします。 今年の男旅はたったの1泊でしたが、これはこれで去年の海外旅行にも劣らぬ有意義なものでした。 平成二十六年葉月十六日 不動庵 碧洲齋