不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

2014年男旅 其の壱

一昨日昨日と息子と旅に出ていました。今回行った先は秩父。 早朝から家を出て一路北に。電車の旅のいいことは車と違って自分ものんびりできること。時と場合によると思いますが、これに慣れると自動車の旅の便利な部分というのも霞んでしまうほど。息子と面と向かって語り合えたり、一緒に景色を見たり。自分が運転している車ではなかなかできないことです。これは歩行による移動が増えてきた今年から感じたことですが、徒歩で歩くという手段ほど素晴らしいことはないということ。土の匂い、風の香り、木陰や川の清涼さがリアルに伝わります。電車ではそうもいきませんが、それでも旅仲間と立場を同じくできることは何と素晴らしいことか。やはり自然以上の速度で移動するのは最低限にしたいところです。 羽生駅にて秩父鉄道に乗り換えました。途中2度ほど下車しますが、終点まで乗っていくわけです。 埼玉県を東西に横断するという機会は普通あまりありません。自動車ではできません。ほぼこの秩父鉄道を使う以外には方法がないと言うことです。 最近はこういうローカル鉄道にも美少女キャラが使われているんでしょうか。ローカルさには似合わぬクオリティに驚きました。
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秩父鉄道では2カ所途中下車するのでフリー切符を買いました。電車の中では息子と時折四方山話をしたり、本を読んだり、朝作ったおにぎりを食べたり。寄居辺りまで青田の中を疾走していましたが、本当に気持ちよかった。寄居を過ぎた辺りから山が見えてきました。秩父鉄道は基本、荒川と併走しています。 最初の目的地は長瀞。この瀞という漢字の意味は川の所々、深くなっているところに見られる静けさだそうです。多分小学校の遠足で来た時もバスガイドさんは同じ事を言っていたのかも知れませんが、不惑を過ぎて同じ事を聞き、感慨深く感じるようになりました。私もこの瀞の如くありたいと思った次第。時刻にして8時半を少し回った程度だったため、店はこれから開店という感じでしたが、さすがお盆休み中とあって長瀞ライン下りは既に始まっていました。惜しむらくはA・B両方を合わせたCコースがお盆休み中は混雑すると言うことで中止だったこと。 Bコースの1番船に乗りました。息子がもう少し小さかった時にもAコースで乗ったことはあるのですが、覚えてなかったようです。
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船頭さんの操船技術に感銘を受けました。竿であっちこっち左右を突いたり漕いだりするのかと思いきや、流れに身を任せ、竿は最低限度にしか用いなかったこと。慣れもあるのでしょうけど、私が見ていた限り水路を知り、水を知らないとそのようにはできないはず。もちろん船首と船尾両方の船頭さんの息もあっていなければダメです。武芸や生活の知恵にも参考になる操船技術でした。
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20分少々で終点まで付き、そこからバスで3キロ先の長瀞駅まで戻りました。 予定外に早い時間の乗船だったので時間が余り、息子と長瀞千畳敷岩を散策しましたが、この時間で蒸し暑くなってきました。駅までの帰路にソフトクリームを食べたり、冷やしキュウリを食べたり。ソフトクリーム店では品のよい老婦人が売っていましたが、休憩所の一角に昔の氷を入れて冷やす冷蔵庫がありました。金具などはまだ使えそうなくらいきれいでした。息子は「昔は冷蔵庫に入れて保存するより、新鮮なまま食べきっていたんだよね。」と言いましたが全くその通り。必要な分だけを自然から頂く、よく考えたらこれは日本人が昔からしてきたことです。あれもこれもと溜め込んでくるようになってきてからおかしくなってきた気がします。
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次の目的地は浦山口駅。橋立堂鍾乳洞があるところです。一つ手前の影森駅で一旦止まり、次の電車で一つ目。車では何度か来たことがある場所ですが、電車では初めてです。駅を降りて下にある道を下ると不動堂があり、山水が豊富に湧いていました。まずまずの人が来ていて、ポリタンクに水を入れていましたが、息子はちらりとそれを見て少し憮然としていました。不動堂の前で手を合わせると、息子は彼らがほとんど水の利用料として200円とかかげているのにほとんど支払っていないことに腹を立てていたようです。「あの人たちはお不動様の罰をきっと受ける。お不動様は怒ると本当に怖いんだから・・・。」人が見ていないところでの正義の心。私は息子とそれを導いて頂いた不動明王に手を合わせました。
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駅からも見えるところですが、すごいところにおいなりさんの祠があります。山の中腹ですが、結構高い。そして階段の傾斜が途中から厳しくなっている。私は登るつもりはなかったのですが、息子が登りたいというのでここで弱みを見せるわけにもいかず、私も登りました。いや、マジきつかったです。登ってみたら単なる普通のお稲荷さんでした。何でこんなところに建っているんだろう。上から見下ろすとちょっと怖いくらいです。
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その後、10分ほど歩いて橋立堂まで。一応この鍾乳洞は曹洞宗の寺院の所領で、奥の院とか言う位置付けになっています。なので内部の撮影は禁止。この鍾乳洞は日本でも珍しく上に登っていくタイプ。ヨコよりも上に登ることが多いです。で、結構狭い上に行楽シーズンなのであっちこっち詰まります。鍾乳洞を出るとお腹が空いてきたので鍾乳洞とお堂がある断崖絶壁の前にある店で手打ちそばを食べました。なかなかうまかったです。それからまだ時間があったのでそば屋の隣にあるカフェで私はカフェオレを、息子はアイスクリームを食べました。ちょっと場違いな感じなくらいに素敵な店でした。店員のお姉さんもこの辺とは思えないほど上品でした。
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その後、来た路を戻り、駅まで。運良くSLの通過時間で秩父鉄道が誇るSLパレオ号が通過していきました。SLは私が生まれたころにはほとんど姿を消してしまった乗り物です。子供のころは「銀河鉄道999」も見て限りある命と無限の命はどちらがよいか、真剣に考えました。それだけにひどく郷愁を感じます。その頃と同じ年齢の息子にはその答えはとても明瞭です。当時の私と比べるのも失礼なくらい、生死の有様をよくわきまえています。これもまた素晴らしい師や仏の導きあってのことです。松本零士先生ではありませんが、これから旅立つというのにはやはり蒸気機関車ですね。感慨深さが違う。息子が小さかった時に家族でこれに乗りましたが、動く度に本当にうるっときました。しばらくすると電車がやってきて、一路終点の三峰口駅に向かいました。 (続く) 平成二十六年葉月十六日 不動庵 碧洲齋