不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

人と武器

画像

これは先日、フェイスブックで見かけた風刺画です。

一番左はフォード社のPINTOという自動車で、短期開発のため欠陥設計になってしまい、27人が事故死するまでリコールに応じなかったとか。当時はリコールして欠陥改修するよりも、補償金を払った方が安いという考えだったとか。1970年代の話しです。

真ん中は日本でもよく知られていますが、タイレノールというのはアメリカで売られている解熱鎮静剤の定番です。空腹時でも飲めるという特徴があり、私も留学時にはよくお世話になりました。このタイレノールも1980年代に毒物混入で7人が殺害されましたが、このときはメーカーの迅速かつ徹底した対策で2ヶ月あまりで収束したそうです。メーカーはジョンソン・エンド・ジョンソン。私もコンタクトレンズはここのを使ってますがやっぱり一流企業です。

さて、問題は一番右端。米国では毎年、銃による事件事故だけで32000人ぐらい死んでいます。普通にギャング間の抗争もありますし、不法侵入阻止の為もあります。しかし小さな子供(3歳とか!!!)が放置してあった銃を間違って発射して、お兄さん(10歳とか!!!)を射殺してしまったなどというおぞましい事件も発生しています。にもかかわらず悪名高いNRAによって銃の規制が悉く骨抜きにされ、いまだに米国では銃によって結構な人が殺されています。

ということでフェイスブックのこの風刺画をシェアして「全く同意します」と英語で書いたところ案の定反論が(苦笑)。

私が銃について問題だと思っている点はたったの二つ。

一つは世界中にかなり出回っており、それは軍隊と警察以外にも普及しているという点。先進国では米国以外ではそれほどでもありませんが、発展途上国ではかなり楽に買えることが多い。

そしてその能力。簡単に弾丸を発射できます。つまりごく簡単に指一本でも生き物を殺すことができる。日本刀を持った10人ぐらいの小学生が私に襲いかかってきても、殺すのは少々無理がありますが、幼稚園児が銃を持っていたら先ずお手上げです。刀で人を殺傷するには相当な努力が要りますが、銃はそうではありません。全くないとは言いませんが、刀よりも遥かに楽に機能させることが出来ます。それが問題です。

これ故に例え中国人や韓国人、北朝鮮人だって子供にとって米国よりも日本の方が遥かに安全であることは断言すると思います。銃はそのくらい危険なものなのです。

欧米人の同門からの反論ですが、ニュースにはなっていないが、日常的に銃は悪い奴らを退治している、と言っています。それはそうです。そうで無かったら意味が無い。彼らの問題点は善悪で判断すること。悪人は殺してもいい、これは正しくてそれは正しくない、二元的な思考です。彼らは私が言っている「銃ではごく簡単に命を奪える」という事実よりも、それが正邪いずれなのかという点にだけ執着しています。典型的な一神教の考え方ですかね。

あまりしつこいので「日本の伝統芸能を習得するに当って、そういう正邪でものを見るが如き思考はよろしくない」ときっぱり言ってしまいました。普通は滅多に言わない伝家の家宝的セリフなのですが。

銃がたくさん世に出回っていると言うことは、デメリットよりもメリットが多いという事他なりません。悲しい話しですが。結局はデメリットに目をつぶってもでも使う価値があると考えられていることです。

日本では戦国時代、とんでもない数の銃器が普及していました。織田信長一人だけで当時のヨーロッパ中の火器の総数を上回ったとさえ言われています。どう少なく見積もっても当時の日本の軍事力の方が遥かに高かったことは間違いないでしょう。そうでなかったら南蛮人がそれほど下手に出たり、おとなしかったりするはずがありません。

しかし戦国時代が明けて江戸時代、日本は自らの手で軍縮をして結果、400年程度は一般大衆が銃を持たずに済む社会を構築しています。世界で自国に普及していた火器の縮小に(平和裏に)成功した国は実はそう多くはありません。

銃と違って刀は使えるようになるまで非常に訓練が必要です。そして実際に人を斬るときは手が届く距離です。血しぶきも浴びるでしょう。だから人を斬るには確固たる信念や報酬、確かな技量どれもが不可欠です。どれかがあやふやだったらとても実行しようとは思えなくなります。そもそも江戸時代から今に至るまで、刀の繰法には極めて細かいしきたりがあり、故にそれによって怪我をする人はこれまた極めて希です。子供が日本刀を間違って振って、大人を殺したなどという事件などは起きたことはないんじゃないかとさえ思います。

銃の普及で人が幸せになれるなんて思っている人はいないのに、現実に武器メーカーは大抵儲かっています。兵器メーカーで儲かってないのは日本国内ぐらいでしょうか。まあそれはそれで他国の脅威を排除するためにもっと頼もしくなって欲しいという要求はあるので、これまた困った話しではあります。

武器との付き合いに正解はないし、どういう付き合いでも出来たらしない方が良いに決まっています。しかしそれでも付き合わねばならない人間は、出来るだけ深く出来るだけ広い英知を用いてもらいたいと思います。

平成二十六年水無月十三日

不動庵 碧洲齋