不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

欧米人の歴史観について

最近、たびたび目にするのが「歴史観を改める」。

これについてちょっと。

私が子供の頃に日本の歴史観に対して「?」と思ったきっかけ。

小学校2年生の頃だったと思うのですが、近所に家族ぐるみで仲のよい老夫婦がいて(母の仕事仲間だった)、ご主人が若い頃、三菱重工で97式中戦車の製造に携わっていたと言うことで、新年ははじめて靖国神社に行きました。

物心ついたことから戦争には興味があったので遊就館にはじめて入ったときの感動は今でも忘れられません。で、明けて3学期、先生が何かのついでにみんなにどこに初詣に行ったのかと尋ね、私が「靖国神社」と言うと、担任の若い女性教師は後で職員室に来るように私に言いました。職員室ではただ単に親の仕事や家でどんな話をしているのかとか、どうでもよい話しだったのですが、数日後に母が非常に怒った表情で学校の先生と電話で話していたのを良く覚えています。

中学校は県内でも有数の優良校でした(苦笑)。ナチスドイツの強制収容所顔負けの校則に同じく体力にかなり優れた教員も多数。確かに高校進学にはかなり有利だったようですが、不気味だったというのが正直なところ。中学校2年の時は後で聞いたら担任は日教組の幹部だったようです。日清日露戦争はたったの1回の授業でささっと終え、結局何が言いたかったのかよく分からなかったのに、大東亜戦争になると、バキバキとチョークが何本も折れるぐらい顔を真っ赤にして鼻息荒く日本の非道さを大声で強調していました。いや、普通に結構怖かったです。さすがにみんな引いてましたけど。高校では当たらず障らず。

高校では今の道場に通うようになり、怒濤のように諸外国の同門と接するようになってきてから、結局本当のところどうなんだ?というようなことがずっと疑問に感じていました。そういうこともあって海外ならもっとましな歴史が学べるのではないかと思った次第で、アメリカに渡りました。

言ってはなんですが、10代半ばから10年間ぐらいはどちらかというとアナーキスト無政府主義者ではなかったかと思います。西洋人に染まるような尻軽である必要はないと思う一方、天皇制についてもそんなものはなくてもよい、とか。そんな感じだったと思います。

あいにくと大学の東洋史の講師は朝鮮戦争従軍の元士官のじいさんで、散々日本のことをけなしてくれたので、こっちもよく調べて迎撃しました(笑)。そのじいさん講師は南京大虐殺従軍慰安婦も普通に信じてましたね。まあバブル真っ盛りだったので日本人のツケ上がった態度が気に入らなかったのでしょう。逆の立場で考えたら納得はします。正直、今の中国人を見ていると当時の日本人を思い出します。日本にいた日本人は知らないでしょうけど、バブルのころにアメリカに行っていた日本人も相当なものでしたよ。この辺り、キツく釘を刺しておきたいポイントです。

日本語教師をしていた20代後半ぐらいから、比較的今の歴史観に近くなってきました。まあ、強いて言えば社会で仕事をするようになってから、物見遊山ではない、汗水流して知った社会を通じて歴史を観るようになったのかも知れません。

私は日頃から外国人とよく接する機会があります。数えたことはありませんが多分30ヶ国とか40ヶ国とか。実際私のフェイスブックの友人343人のうち、外国人は3/4。そしてその外国人の8割近くはリアルフレンドです。

仲のよい外国人の友人とは宗教の話しも歴史の話しも政治の話もします。私はこの手の話しを中国人とも韓国人ともディープに話しをしたことがあります。こういうとき、おかしいのが台湾人、日本人以上に日本のことを悪く言う奴を許しませんでした(笑)。

私の世代が青少年時代に受けた日本の歴史観は確かにかなり奇妙です。自国の採った行為を徹底的に非難する、外国の採った方法を良しとする、これがかなり徹底しています。諸外国では決して見られません。見方によってはなかなか公平ではありますが、私が見た限りではいびつというのが一番ぴったりな単語のように思います。例えば都市爆撃や核兵器の使用などはどこからどういう視点で観ても悪です。逆に侵略と言いますが、その当時植民地で大きく財をなしていた西洋先進国は全く悪ではないのか?そもそも侵略の定義は何なのか?要するに日本史等世界史では都合の良いところだけ比較して、都合が悪いと全く摺り合わせないような、そんな感じです。

戦時中にした政府の厳しい統制に今でも国内外で恨み辛み言われますが、相手は日本の10倍以上です。まさか国民がほんのちょっと我慢すれば何とかなる相手ではないでしょう。みなさん日露戦争の幻影の見過ぎです。あんなパーフェクトゲームは多分、人類が終わるまで二度とやってきません。国民全部出し切ってギリギリやっと勝てるか、完膚なまでに叩きのめされるか、日本はその二つの選択肢か無かったはず。そして政府は貴族や王様が勝手に作った政府ではありません。日本人の投票と天皇の承認があって打立てられた政府です。政府を貶めることは民主主義の原則で言うなら市民そのものです。この辺り、現代中国人は未だに理解していないようで、日本政府は嫌いだけど日本人はいい人が多い、などという表現が見受けられますが、哀れにも彼らには政府イコール市民という感覚が欠如しているということがよく分かります。(まあ、概ねイコール、ということで)言っておきますが、今の中国市民には選挙権すらないのです。だから中国政府と中国国民の間には基本的には接点がありません。民主主義国国民はこの辺り、錯覚を起こさないように。

西洋人たちと話していて思ったのは、既に過ぎてしまったことに何を言わんや、ということ。そして日本人の主張の拙さ。「東南アジアや中国に進出したのは実は侵略ではなかった」とか「実は欧米人の方がもっと悪いことをしている」とか。まあ、それはそれで結構合ってますが、結果からすれば笑っちゃいます。なんですぐ言わなかったのか。何でそんな大事なことをすぐに反論しなかったのか。間違っているならなんで国民から反論が起きないのか。残念ですが、彼らはディベートに長けています。いつでもどこでもネゴするのです。「敗将は黙して語らず」とかいう精神は持ち合わせてません。多分理解も示さないでしょう。欧米人は日本人が黙っていたのをいいことに(あっちだって戦争を終えたばかりでヒートアップしていました、もちろん)、あることないことひっくるめてやったことにしてしまいました。でも日本人は黙々としてました。もし悪いというならこれが悪いです。ここは黙っていてはいけないところでした。今、欧米人に朝鮮人並みの熱意を以て何をか言ってもあまり響きません、間違いなく。

良いのか悪いのか、お陰で日本人は先進国やそのた主要国と非常に強い信頼が生まれました。ギャーギャー喚かず、黙々、粛々と縁の下の力持ちであることが認められたのだと思います。政府は別として、反日国家の中国人や韓国人ですら、日本人の所作に文句を言わないでしょう?製品にしても同じくらい評価が高い。日本人の品格はその位の優れたレベルなのです。

で、それを蒸し返してあれこれ言うのは優雅でもないですし、知的でも無し、欧米人にはかなりバカっぽく映ります。中国や韓国のように今でも蒸し返して金銭的なモノを要求する国が全く以て不愉快に映りますが、日本人が欧米人に本気でそんなことをしたら、まさにあんな感じです。まあ、中韓の言い分は熾烈滅多で全く論理的でも何でもありませんが。ともあれ「実は日本は正しかった」的理論は本当に正しくても欧米圏に「はいそうですか」と言わせることはとても難しい。無理でしょう。私がバカだなと思う連中はここが分かってない。過去に囚われて何か得でもするの?普通の感覚です。スケールダウンして、10年前に振られた女のことを恨んでいても全然意味が無い、ある意味精神的に不健全になる、一般論です。

では何を以て日本の優位を示すのか?これまた普通ですが、更なるより一層の日本人の民度の高さ、品格の高さ。日本製品の高品質、サービスの良さ、できたら(これが一番重要)賞賛を得る政治的行動。これだけです。というかこれで十分です。今でも世界の大半の国は日本の見方ですが、熱狂的なファンぐらいに出来るはず。軍事力が要らないとは言いません、しばらくはやや多めに必要でしょう。しかし軍事力を持つ国が率先して助けたくなるような国であればよいのです。日本にはそれができると思います。少々腹が立つ結論を欧米人に押されたのは確かに悔しい。狡猾だとも思います。しかしそれ以上にすべき事があるなら、私たち日本人はこれから先をよりよくしなければならないと思います。過去ではありません。

留学中、ガーナから来た留学生と仲がよくなりました。彼は言いました。「アフリカの多くの国の人たちは日本を尊敬している。あんな小さな国で白人でもないのに半世紀も前から欧米人たちと張り合うことが出来ている。教育や文化が優れていたからだ。アメリカみたいに土地も資源も豊かで周囲に敵がいなかったらどんなバカでも国は造れる。それを考えたら日本は偉大だ。」初めて聞いた発展途上国の学生の言葉にちょっとショックでした。

過去の歴史や結論に対して手を加えるよりも未来に対してより多くの労力を費やして手を打つべきです。(最低限、反日国家への対策は必要不可欠ですが)その方が平和的ですし建設的です。昔と異なり現代戦争はアメリカですら腰が引けるほどの莫大な浪費です。みんな最新兵器を揃えるのがやっと、使うなんてとんでもない、そんな感じです。今、バリバリやっているのは結局ゲリラ戦ぐらい。どの国も平和的な経済投資の方が遥かに儲かることを良く知っているためです。私などは息子のためにこんな無駄遣いを止めさせて、全部宇宙開発につぎ込んでもらいたいと思っています。世界中の軍事予算を宇宙開発につぎ込んだらISSを10個作ってもおつりが来ます。何と無駄なカネなのかと時々ため息が出ます。にらみ合いのためだけの投資、このバカさ加減に悟るものがあってはじめて人類が一皮むけるのではないかと思います。

私の母方の祖父も太平洋で戦死しました。だからといって大東亜戦争の正統性をどうこう言うつもりは全くありません。言われたら3倍返しぐらいのつもりではいますが、こっちから敢て言う気にもなれない。祖父は自分の娘や孫たちが平和に暮らせるように願っていたからです。「オレが死んだら、子々孫々まで敵を恨み続けてくれ」なんて想い続けて死んだ将兵がどれほどいるのか。いるとは思いますが、普通は思わないでしょう。私の祖父はそんなことは言わなかったと思います。確信に近いものがあります。祖父はきっと、平和だったらまあ良しと思っているに違いありません。この平和もちょっと危ないので私自身、安穏とはしてませんけど。

ご先祖様が先の大戦で戦死したから今現在の欧米人などにムキになるのは精神性が幼い証拠。ネットを賑やかせている中国人や韓国人と同じレベル。世の中に対する不満をご先祖様の行為に投影して言っているだけです。心理学にもそういう心理作用があると説明があります。

逆に知れば知るほど「ヲイッ!何言ってるんだ」と思う国もあります。言わずと知れた朝鮮民族。いやはやこれには本当に手が付けられません。

昔、在日朝鮮人の同僚にお金を貸したことがあります。それまでは散々遠回しに従軍慰安婦問題や植民地問題についてネチネチ言っていて、時折同僚をウンザリさせていましたが、何かの用事で(書くのは控えますが、確かに切実な問題で)お金が必要になり、まずまずの金額を貸したことがあります。お金はちゃんと戻ってきましたが、結局彼らがしていることは日本の掌で踊っていることぐらいなのかなと思ったものです。以後、彼の主張には苦笑しながら気にも留めずスルー出来るようになりました。

水に流すというのが日本の元々の文化のように思われています。多分それは本当だと思います。日本史には「虐殺」という事件がほとんど起きていません。あの関ヶ原ですら戦死はかなり少なかったと聞きます。中堅以上の国で「虐殺」の単語が歴史上ない国はあまりないと思います。故に「南京大虐殺」というのが目立ちすぎて余計にフィクションさを目立たせていてウソっぽいですが(これは世界史ですけど)、虐殺がないからこそここまで来られたのではないでしょうか。社会や政府、近所の反日国家にはほとほと腹が立つことばかりですが、ここらで日本人としてのやり方を改めて考え直してみてはどうかと思った次第です。

平成二十六年皐月三十一日

不動庵 碧洲齋