不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

バスの車内で

先日、バスに乗ったときに直面した事。

バスに乗ると、乳児と幼児を連れた若いヤンママさんが乗ってきました。例によって言葉遣いはバリバリヤンキーで幼児に話しかけていました。しかしながら不器用ながら乳児を抱えながら後続の方々に邪魔にならないよう、一生懸命にベビーカーを畳んでいました。(急いでいたのか予め畳めなかったようです)私は時代祭の帰りだったので大きな荷物を抱えており、手助けできなかったのですが、手が空いていたら助けたかったところ。

車内ではよく通る声だったので、少々ヤンキーな口調で子供たちに色々話しかけていましたが、話を聞く限りはとても愛情深いお母さんのように思いました。

私も友人たちも子供が好きなので時々手を振ったり笑いかけたり、ヤンママさんも嬉しそうにしていました。

後半、乳児が泣き出しました。おむつかミルクだと思いますが、狭い車内ですからそれは無理。一生懸命にあやしていましたが、泣き声が止むことも無く(そんなにひどくは泣いてませんでした)。不幸中の幸いにも乗車していたのはヤンママファミリーと私と友人二人、その他の客は2名ほどでした。

ヤンママファミリーは私たちが降りるバス停の一つ手前で降りましたが、降りるときお姑ぐらいの年齢の女性がヤンママに何か苦情を言ったようです。ヤンママは降り際に「ウルセーなこのクソババア」と捨て台詞を残して降りました。

子供がうるさかったのは事実ですが、ヤンママさんが放置していたのならともかく、狭い車内で悪戦苦闘していましたし、そのおばさんは人生経験豊かでしょうから、空いている車内を移動して助けるなりしてもよかったはず。またバスの乗車時間はせいぜい10分15分です。さらに降り際に文句を言ってどうなるものか。

そのおばさんの方にこそ、知恵が無かったのではないかと思います。

四苦八苦している相手を助け、理解を得てから年長として徳化させる、これが年長者としての務めではないでしょうか。

相手を慮る、許し合う、堪え忍ぶ、こういう日本人として最も基本的な資質を忘れてしまったらもはや日本人ではありません。相手の非を重箱の隅をつつくように探しだし糾弾する。それは日本人本来のやり方ではないように思います。

今時の若い親にかなり問題が多いのは紛れもなく事実ですが、視点を変えればそれを教化できる年長者がないとも言えます。そしてそれを放置してしまう社会には問題が無いのでしょうか。「相手の問題」「自分の問題」と捉えず、「社会全体の問題」と捉えるようにしなければならないと思います。

ヤンママとて子のためなら喜んで何でもすると思います。そういう視点で子供たちのためによりよい環境を造っていきたいところです。

平成二十六年皐月二十八日

不動庵 碧洲齋