不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

道について考えた

先日、FBの私の道場のページで何となく「ナントカ道」の道について書きました。その折、「みち」の語源についてちょっと興味が湧いたので調べてみたのですが、一番なるほどと思ったサイトはこれ。

http://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/lexicon.htm

訓読みは古代日本語から来ているものが多いですが、ものすごく身近な単語に関して言うと諸説あってよく分かりません。「みち」などもそれに含まれるのでしょう。

古代海洋民族にとって風の通り道は神の意志で、人間如きが何とかできるようなものではなかったと認識していたようです。確かに我々には風は見ることもできなければ制御もできない。どこから来てどこに行くかも分からない、それでいて巨大なものも動かすほどの力を持っています。故に畏れ敬っていたというのは分かります。確かに現在でもヨットなどを操船する場合は風を知らないと話になりませんから。

「みち」は音に分解すると「mi-ti」だったそうです。「ti」がいわゆる「風の通り道」です。そこに敬称「mi」今で言う「御」を付けて「みち」になったとあります。つまり「みち」は神聖な通路という意味になります。

そう考えると普通の道はもちろんのこと、「ナントカ道」の道もとても神聖なものだと言うことが分かります。いい加減な気持ちで伝統芸能を学ぶべきではないと思い切り戒められました。

日本人はよく道を掃き清めますが、これは古代日本の風習の名残なんでしょうか。今度から自宅から出た落ち葉などはきれいに掃き清めねばと思ったりします。

古代日本語は奥が深い。

平成二十六年卯月十八日

不動庵 碧洲齋