不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

チャレンジャー

先日、なにげに息子に質問をしました。

「将来はどんな大人になりたい?」

息子はしばらく考えてから言いました。

「ずっとチャレンジし続ける大人になりたい」

この答えに思わず唸ってしまいました。

息子は多分、宇宙飛行士に自分を重ねて言ったのだと思います。

「終わり」がない。いつまでもずっと、自分の夢に向かって歩み続けていること。息子はその行為に意義があると思っているようです。

その為か息子はあまり意義の薄いPCゲームなどはほとんどしませんし、アメーバピグなどもあまりしません。楽しむときは楽しんでいるようです。せいぜい普通の子供らしいのはテレビを見るときぐらい。しかしたとえ楽しみにしている「ポケモン」が放送されているときでも「テレビを消せ」と言えば文句もなく消してしまうぐらい執着がありません。よくよく見てみると、いつも何か作っているか調べています。クリエイティブな遊びというのでしょうか。もちろん本も読みます。マンガじゃないですよ、まずまず難しいとは言える本です。

私から勉強をしろと言ったことはありません。ま、せいぜい言っても学校の準備や宿題ぐらいです。

息子は言いました。パパやママはいつも何か勉強をしている、家でビールを飲んでゴロゴロしていたらエラいなぁとは思わなかった。ヤレヤレ、息子からは及第点はもらえたようです。確かに何かを追及しているという点では人後に落ちないつもりではいます。武芸や禅、英語やロシア語については日々研鑽をしています。それでもロシア語などはまだまだ熱が入ってないとしくじたるものこれあり。妻にしても茶道やウクレレを学んでいますし、英語とかもやっているのかな?息子が言うには他の友達の両親とは随分違うようです(ありがたい・笑)。

親のそういう姿勢を見ていれば、子供も自然にそういう方向に向かうものだと思っています。親が家でゴロゴロしながらテレビを見て、ビール飲んで、子供に向かって「勉強しろ」は確かに納得がいかないですね。親も必死に何か勉学をやっていたら文句が付けられません。

「これでいい」と思ったら人間終わりだと思ってます。武芸でも「○段を貰ったから俺は十分エラい」などと思ったら背中からすぐに刺されると思った方が良いです。残念ながら例えば門内にもそういう顔をしている人をよく見かけます。十分だと言って許されるのは棺桶に入る直前とか、大幅に譲ってオリンピックとかそういう世界的な競技に出て金メダルを取ったときとか、そういう時だけでしょう。人は皆、そこに満足せず、いつも上を見るチャレンジャーであるべきだということは多分真理です。

これからも息子から見下されないよう、勉学や武芸にいそしんで参りたいと思います。

平成二十六年卯月十八日

不動庵 碧洲齋