不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

人生十のうち

「人生十のうち八,九は思い通りにならない」

これは中国の諺だそうですが、私が結構好きな諺です。

何でも大陸的なおおらかさがある中国人にしては珍しく厳し目の諺のように思います。

この諺をどのように捉えますか?

八,九も思い通りにならないことがあると絶望するのか、一,二は思い通りになることがあると喜ぶのか。

生まれるときと死ぬ時は自分で決められません。

ささやかな幸せを掴むためでも結構な努力をしなくてはならないことが多い反面、とんでもない不幸は突然やってきます。自然災害は言うまでもありません。統計確率的に考えたら踏んだり蹴ったりの人の方が多いと思います。故にこの10-20%という数値はなかなか正確ではなかろうかと思います。

人がまだ内燃動力などを持たず、風任せ動物任せで移動したり作業をしていた頃はこの一,二割のささやかな幸せに感謝して、忍耐強くも慎ましく生きていたと思います。

風や潮流に逆らって進むことができる内燃機関など、科学が発展してから、思い通りにならない八,九割に着目し、それは人類が制圧すべきものとして認識し始めたように思います。

人類特有の進取の精神、the spirit of enterprise、これがいけないわけではありません。これあっての人類ですが、どうも私たちは完全フリーハンド、自由にできるはずの一,二割に十分な感謝をせず、そうはできない八,九割に不平不満ばかり言っているような気がします。思うに私たちはまずは自由にできる一,二割に十分感謝をして無駄なく用いて、どうしても足りないもののみを残りの八,九割から借りるべきだと思うのですが、産業革命後の西洋人を見ているとさにあらず。残りも征服し制圧することが生きがいのようにも思います。日本人を初めとしたアジア人も例に漏れず。出遅れただけで大きくは違ったことをしているわけではありません。ただ、やはり日本人の心の中には自然の全てを神に見立て、無碍に自然から奪取することに畏れを持っているように思います。これは欧米の同門たちからもよく言われます。

日本の神道のものの考え方は、多分人類が21世紀を何とか乗り切るに当って非常に大きなヒントを与えているように思います。日本人のものの考え方は人と自然の本来あるべき関係を示しているような、そんな気がします。そういうことがあって私は例えばフェイスブックなどで機会がある毎に日本人のものの考え方を紹介しています。彼らの心の琴線に響いてくれるとよいのですが。

日本以上に進んだ国は世界に幾つもありませんし、同じく日本以上に平和な国もごくごく限られています。その上日本以上に洋の東西がうまく融合している国も少ないと思います。上手く行きすぎているので、周辺のいくつかの国などは相対的になんかはささくれ立っていますが(苦笑)、もし彼らが別の所にあったのなら、もしかしたら普通の国でいたかも知れません。

グローバルな視点だけではありません。自分とその周りでも同じ事。インターネットを初めとするメディアの発達で、元来知るよしもなかった地球の裏側の、とある個人の裕福な生活を知ってしまったり、溢れんばかりの幸福な家庭環境を知るに及んで己の不幸を比較し、ため息をつく人は多いと思います。

どうにかなる一,二割は自分だけの一,二割です。他の人に取って代わることができません。「タラ・レバ・カモ」は現実逃避の予備軍です。(ま、ここから色々な発明が出てくるので無下に否定するのもいかがなものかとも思いますが)つまり残りのどうにもならない八,九割も自動的に付いてきますから、世の中はそういう相関になっているのでしょう。そのように割り切るしかありません。

私が少しばかりかじっている禅でもそうですが、そこに良い悪いという判断を差し挟まず、感謝だけ添えて粛々と遂行していたら、苦痛を初めとする諸々のネガティブな感情の渦巻きは少しは減ります。これは私の体験から照らし合わせても間違いありません。全部なくなるのは無理ですし、そういう都合の良いことはあまり期待しない方が生きていく上ではより健全な気がします。その「少し」にどれだけ感謝があるかで、さじ加減も変わるのではないかと思います。

なかなか思い通りになることがきわめて少ない社会で精神的な病になったり体調を崩すという現象が多い今、心の持ちようをこんな風に切り替えてみてはいかがでしょうか。

思い通りの場所にあらずとも、見事に咲かせる花もある。

弊社工場の片隅に忘れ去られたように置かれている植木鉢に咲いた花

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平成二十六年卯月四日

不動庵 碧洲齋