不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

龍のいた時代

その昔、中国では「龍」は皇帝のシンボルでした。

そして最初に帝王となったのが「黄帝」だったことから、「黄龍」といえば中国の皇帝を示していました。

ではいったい何のモチーフが「龍」になったのだと思いますか?

実は「龍」は中国において大きな川を指していました。

我々が日頃使う漢字に「工」という漢字があります。「工事・工作・工夫」などに使われる漢字ですね。これ、何のモチーフだと思いますか?実はこれ、上の横線が長江、下の横線が黄河を表わし、真ん中の縦線は開削した運河を表わしているそうです。

中国では太古の昔から氾濫するこの二大河を如何に治水できるか、それが統治者としての力量を示すものだったと言われています。

故に「工」は元々開削工事を含む治水事業を表わしており、それが現在のような意味の漢字になりました。

この二つを制した者こそが中国では王者たる資格がありました。

現在、1世紀前まで伝説上の王朝とされていた殷王朝が実在したものであったように、殷王朝の前王朝であった夏王朝も伝説の王朝から実在していた可能性が極めて高くなってきました。中国史マニアとしては興奮冷めやらぬ発見です。

その夏王朝はおおむね紀元前2070年から紀元前1600年頃まで存在したと言われています。その始祖である最初の王、禹(う)は親子でその治水工事に関わり、父鯀はその失敗を問われて死刑、息子の禹は命がけで治水工事を行い、とうとうこれを治めたそうです。ちなみに鯀も王族でしたが、治水の失敗でキッチリと死刑になっています。やれやれ、4000年前の法治国家が如何に厳格だったことか(苦笑)。

夏王朝はそれ以前とは異なり、初めての世襲王朝になりました。殷王朝に取って代わられるまで、17代、471年程度続いたようです。

太古の中国では、農工に長けた人物が王になりました。

現在、中国では地方からで稼ぎに来た農工民がひどい差別を受けたり不当な扱いを受けていますが、本来彼らこそが元来、中国人の発祥でした。

出稼ぎ労働者の理不尽な扱いをニュースで知る度に胸が痛みます。

今の中国の龍はどうでしょう。

一説によると8割以上の河川の水は飲用できず、それどころか農業用、ひどいものは工業にも使えないほどの水質になってしまっている河川も多いようです。龍は死にかけていると言っていいでしょう。2010年に中国上海に行きましたが、市内を流れる小さな河川からもものすごい悪臭が漂うことがありました。

今の中国人の数々の所行の理由は、心に生きた龍が住んでいないがためかとも思います。

・・・昨日、米国の武友から頂いた龍の彫り物がある鋳物の器を見ながら、ふとそんなことを思いました。この器、日本製で出来がよく、大変気に入りました。来月の時代祭に持参して、桜の下でお茶を飲もうかと思います(運転するのでお酒は飲めませんが・笑)。

以上、龍のお話しでした。

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平成二十六年弥生二十八日

不動庵 碧洲齋