不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

天命

50歳は"天命"の別称ががあります。

恐らく孔子は「50歳になったら自分がやるべき事がハッキリしてくるものだ」と言いたかったのでしょうか。2500年前の話しです。50歳まで生きたら十分に大年寄りです。ぼけて何もしないというのは許されず、周囲からはこの人に天が何か使命を帯びさせているが故に生かしているとすら思われたのでしょう。

そうでしょうね。

現代では50歳は大変な長寿の内には入りませんが、初老であることは間違いありません。40歳の「不惑」のように迷わないだけではなく、一歩進んで確固とした何かすべき事が見据える目を持っていて然りだと言うことです。

40も半ばの私が偉そうに言えるわけではありません。私だってまだ、迷わないことに必死です。天命と言えそうなものがチラチラしてきているような気がするだけです。ただ言えることは人として踏み外してはいけないものはあるということが、ハッキリとしています。まあ、厳しいことを言えばそんなことは小学校のうちに魂に刻んでおけば、それからの人生は大過なく過ごせるというものです。

佐村河内守氏、50歳です(苦笑)。ちょっとはフォローしてあげようと思ったのですが、風呂に何ヶ月も入っていないかのようにボロボロと垢が出てきました。しかも言動は全て「をいをい」と突っ込みたくなります。恥を知らない人というのはあんな感じなのでしょうか。小保方さんみたいに精神的に参っているというなら分かります。秘密をばらした相手を訴えるというのですから恐れ入ります。

この佐村河内守氏が一番許せないのは、身体障害を逆手にとって名を売ったという事。これでは本当に苦労されている身体障害者の皆様が大いに迷惑します。まだハッキリしませんが、その聴覚障害というのも嫌疑がかけられているとか。一旦信用を失った人間の末路です。ザマアミロと言うよりは自らそうならないよう戒めたいところ。

しかし50にもなって道を外すかなぁ・・・権力とか名誉とはさも恐ろしげなものじゃ(笑)

平成二十六年弥生十七日

不動庵 碧洲齋