不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

徒歩通勤についての省察

徒歩通勤を始めて1ヶ月が過ぎました。

正直始める前は「大丈夫かな」とも思ったものですが、始めて見ると何のことはありません。

普通に歩く分には普通の体力があれば辛くはありません。30分、つまり私がいつも通勤している時間であれば誰でも出来ます。距離にするとゆっくり歩いて2キロ、速めなら3キロ。

確かに徒歩は自転車や自動車、公共交通機関に比べると遅いには違いありません。

しかし反面思うのです。徒歩よりも早く到着して、得た時間をどれほど有意義に用いているのか。

もっと怖いこと。若い内に楽な乗り物で移動すれば、その分歩きません。体を使わないと言うことです。日本は今、世界で最も長寿国だと言われていますが、実は世界で最も寝たきり老人が多いのも日本だったりします。北欧などは日本ほどには寿命は長くありませんが、普通の老衰で死ぬケースが多いようです。

体が丈夫でないと、寝たきりになる確率が飛躍的に高くなります。不幸なことに日本は医療体制が進んでいますから簡単に死ねません。だから寝たきりになります。今、せっせと少しでも速い乗り物で楽に移動しても、その楽した分、体力が劣り、老後になって歩行補助具がないと歩けない、そもそも歩けない、もっと悪いと寝たきり、そういうことで時間を使ってしまいます。今楽するか、後で楽するかの違いではないかと思います。

歩いていて気付いたことがあります。体感する風や空気から季節が分かります。ここ1週間は確かに初春の香りがしてきます。立春というのも頷けます。これは車に乗ったり、電車に乗ったりしていては分からないと思います。湿った空気、乾いた空気、強い風、弱い風、気温、体感する直接の情報が飛躍的に多い。少々カッコよく言えば自然との一体感があります。

また、歩きは個体において体に無理な負担なくできる最大限の運動です。昔から哲学者や思想家、禅僧などが歩いているときに閃いたことが多く知られています。黙然と坐っているよりも動いていること、歩いているときの方が多くの閃きを与えるものです。

私の場合、歩くことの指針を明瞭に示してくれているアイテムは歩数計。大きさは小型のPM3プレーヤー程度。ポケットに入れておくだけでカウントしてくれますし、今時の歩数計はセンサーが精巧なので単に動いただけか歩いたのかという見分けを付けるセンサーが非常に高精度で驚くほど誤差が少ない。それを使って毎日10000歩を歩くことを心掛けています。距離にすると概ね7キロ弱。今のところ10000歩を割ってしまったのは1日限りです。1日10キロ歩いたらかなりのものです。意外に目に見える形で数量が表わされると(歩数計は歩数の他に距離、時間、消費カロリー、などが表記できます)、なかなかの励みになります。

1日15分、20分を惜しんで年老いてから苦労することを思えば、体を動かせる楽しみを感じたいところです。

平成二十六年如月五日

不動庵 碧洲齋