日本語に訳すと「重い槍」、あ「思い遣り」のことです(笑)。
スミマセン、オヤヂギャグで。
日曜日に自宅にお招きした中国人社員の女性と話した内容の補足です。
彼女は滞在中に東京中を駆け回ってあちこちで頼まれた買い物をしていましたが、完全に脱帽していたのは日本の接客マナーの素晴らしさ。
どこの店でも、少額の買い物でも、買い物をしなくても、外国人であっても(中国人であっても)、店員さんがにこやかに深々とお辞儀をしてくれることに嬉しさと心地よさを感じたそうです。又、しつこく付きまとうこともなければ、用事がありそうなときは声をかける前にすっ飛んできてくれる。居心地がよすぎ、とのことでした。
中国では笑顔もなければ感謝の言葉もない。いらっしゃいませもありがとうございましたもないので、買い物をする度にイライラするとのこと。ちなみに韓国でもそれは同じで、ソウルにいる友人などは店員が「ありがとうございました」と言わないことに深い悲しみを覚えると言っていました。美しい女性店員がムスッと釣り銭を投げて寄こされた折にはその友人(男性ですが)、ちょっとショックだったという事です。
こういう一連の習慣にはお金もかからないし手間も暇もほんの少ししかかからない。又、それをすることで店のイメージがよくなればまたお客さんが来てくれる、どうしてそんな簡単なことが中国人には出来ないのか、彼女は憤っていました。
私は彼女と会社で大体毎日、メールや電話でやり取りするのですが、さすがに日本企業に10年以上も勤務しているだけあって日本の習慣がよく身に付いています。
「すみません・・・」
「お手数ですが・・・」
「お忙しいところすみませんが・・・」
「どうもありがとうございます。」
「とても助かります・・・。」
普通に使いこなします。ある意味徹底して使っているので不思議に思っていましたが、彼女自身、そういう言葉は人とのやり取りを円滑にさせるという信念があって使っているのだと思いました。
思い遣りはただで出来ます。先行投資も要りません。信念をどこに置くか、プライドをどこに掲げるか、理念をどこに向けるかで思い遣りの指向性が決まるものだと思います。
中国人や韓国人は身内や仲間内には過剰なくらい親切ですが、他人にはかなり冷淡なようです。ご存じの通り子供が車に轢かれていても平気でいられることも。
欧米が進んでいるとは言いたくありません。ただ今少し人間らしい生き方をしているとは言えます。
そういう意味でもう少し中国や韓国は文明国になって欲しいと思います。
平成二十六年如月十八日
不動庵 碧洲齋