不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

親孝行と言うこと

年末年始は毎年、妻の実家がある愛知県に行きます。私の両親は既に他界したので、年末年始は妻の実家に行っても別段困ることでもなく、年に1.2度は顔を合わせるのが親族の付き合いとして当たり前だと思います。

実は義父のご両親、つまり妻の父方の祖父母はまだ健在で、祖父は来年なんと100歳!祖母も90半ばになります。といっても二人とも年齢の割には至って健康で、二人で普通に名古屋市内で生活しています。私の親族でも100歳という人間は初めてですね。来年が楽しみです。

私としても終戦時には立派な大人だった人と話せる希有な機会なので、できるだけ戦前戦中の話を聞いています。

いつも正月2日か3日に妻の方の親族が揃って食事会になりますが、今年はいつもの祖父母の家ではなく、その近所に行くことになりました。

今回は義父の子供とその家族(つまり私と息子)、義父の妹のご主人と子供(誰も結婚してません)いつもより多く集まり、なかなか賑やかでした。

料亭を出てからのこと。義父は腰も曲がり、手押し車なしではなかなか歩けなくなった自分の母親の手を引いて、駐車場に止めてある自分の車まで連れて行くのを見ました。他の親族はあまり気にも留めていなかったようですが、私はその後ろ姿を見て正直泣きそうになりました。(写真も撮りましたが・笑)今でも強く脳裏に焼き付いた光景でした。義父が60半ばを過ぎても親孝行ができることにうらやましくもあり、翻って我が身の親不孝を思い返すと胸が痛くなります。

生前、母はよく「墓に衣は着せられない」と言っていましたが、本当に親が死んでからそれに気付きました。あまりに当たり前すぎることが分からないのかと思うと、実は時々自分自身のアホさ加減に愕然とします。ものを知っているとか、色々考えているとか、何かが出来ると言うことよりも、親に忠孝を尽くせたかどうかという基準は古今東西、人間を計る上で鉄壁の基準です。

幸い息子は私などより遥かによく悟り、私が20歳の時でも分からなかったこと、考えもしなかったことを普通によく話します。多分それは私が親不孝だったことを悔いて、息子に時々語っているからではないかとも思います。息子は多分、私が死んだときも私の死に対して、誰よりも深く理解できると思います。

平成二十六年睦月十五日

不動庵 碧洲齋