不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

歩く意義

年末から今までになく結構歩いてきましたが、今までと違う点はかなり意識を込めて歩いたことでしょうか。経行と呼ばれる歩行禅をしながら、色々フォームを変えたり、呼吸法を変えたり、速度やピッチを変えたり、意識の持ち方、などなど10年ぐらい前にナンバ歩きを研究していた頃のようです。

で、今朝の通勤時にようやく、スッと手がかりになるコツを掴みました。

同時に「そうだ!ここを直すべきだ」と思った点がいくつか。

チト難しいので、たぶんまた数年かかると思いますが、ナンバ歩きよりは短時間でできるでしょう。

微妙な動作や意識の狭間、拍の機微、そういうものをうまく操ることの意義を直感的に感じられます。

どんなことを発見したのか・・・これは最新の重要機密ですので教えられませぬ(笑)

意識を強めて歩くとこんなに発見が多いとは、自分でも驚きです。まだ4日目なのに(笑)。やはり昔の人たち、歩くことが主な移動手段だった時代の人たちは真に偉大な人間たちだったと思います。

人は便利なものを発明して無原則に利用すればドンドンバカになります。便利なものをうまく使うことで人間の力量が分かるというものです。便利なものを周囲や自然に調和させ、長期的にも動かしがたい利益を期待できる使い方、これができて初めて人間の知恵と言えるのだと思います。便利なものを発明して、ただ使っているだけでは賢いとは言いません。確かに人間力自体は目に見えて下がっています。広い視野、深い洞察、ちょっとカッコよく言えば高い志、こういうものを複合的に勘案して用いることができて初めて人類の賢さが顕在化するというものです。

昨日の帰路と今朝の往路は雨具を着ました。頬を打つ小雨の冷たさが、歩いていて熱を帯びた私の体に心地よかった。何と言うか、生きているということをリアルに感じられます。雨といい草木の香りといい、これそのものが私が生きていることを定義しているようにも感じます。

今後も楽しみながら歩きたいと思います。

平成二十六年睦月九日

不動庵 碧洲齋