不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ゴミを捨てるな

昨日帰宅後に息子が冬休み最終日の過ごし方をレポートしてくれました。

「今日さぁ、秘密基地の活動としてゴミ拾いをしたんだよ。」

「へぇ、それはいいことをしたな。」

「タバコが32本も落ちてたよ。」

「まったくタバコは吸う人にも環境にも悪影響を与えるな。」

ここ最近はなかなか忙しくてやってませんが、以前は私と息子とでよく近所のゴミ拾いをしていました。主に川沿いの遊水池公園辺りまででしたが、タバコの吸い殻の多いこと。私は煙草は吸いませんが、基本的に隣で吸われてもそんなに気にはなりません。要するに神経質ではないという事です。それでもタバコが嫌いなのは吸っている人も周囲の人もそして環境にもよいことがないから。モノを使ってココロを静める行為にいささか疑問を感じます。(私は吸わないので、喫煙者の気持ちが分からないというのもありますので、愛煙者の方はサラッと流してください・笑)

私の友人で喫煙者の方々はポイ捨てはしていないと信じたいですが、私が実際に車を運転していて見た限りでは、車の窓の外で灰を落としているドライバーの約9割は間違いなくポイ捨てをしています。車に乗っていない喫煙者のポイ捨てはこの割合よりも低いというリクツは見当たりません。(そもそも車には灰皿が付いているにもかかわらず、この割合ですから!)

息子の義憤にはまったく同意します。私もとても立派な大人とは言いがたいですが、他人や環境に大きく迷惑を掛けることはあまりしていないつもりです。よその国ならいざ知らず、日本にあって他人や環境に迷惑や害を為す行為はやはりいただけません。

隣国である中国ですが、共産党支配前後ではやはり大きく変わってしまった気がします。文化が根こそぎやられた感じです。例えば何千年も続いてきた「お辞儀」ひとつ取ってみても、わずか70年で握手に取って代わられてしまいました。宗教も経済的に豊かになった今だからこそど派手な大寺院が復興されてきていますが、そもそも禅の修行そのものはほとんど衰微してしまったのが現状で、今の中国の禅僧がどれほどのものであるか、私は肯定的な意見をあまり聞いたことがありません。

日本の戦後、中国ほど意気地なくはありませんが、それでも欧米の生活文化を追従している内に大事なモノをドンドン捨てて、ここまで来てしまいました。まあ、最近はかなり見直されるようになってきたのはよいことですが。しかしそれでも若い親の子育てを見ていると、数百光年先の異星からやってきた異星人かと思うことしばしば。隣国の揚げ足を取っている場合じゃありません。

息子には折あるごとに自然環境保護について、人の進化、文明の利器の利用法など、多岐に亘って語ってきました。私も時折中国や韓国について苦言を呈することしばしばですが、それでもそういう話しは息子に話しているたくさんある話しの内の、ごくごく一部です。ちなみに私は中国の英雄についてもよく話します(朝鮮の歴史については偉人が見当たらないので)。口汚く反日国家を感情的に批判するのは、正直ナショナリストとさえ呼べません。批判するならもっと理性的に。息子には「nationalist」ならぬ「countrist」になって欲しいと思います。「countrist」はネット上では散見されますが、辞書には載ってない程度の単語です。ですが私はこの「countrist」が好きで、最近は好んで使っています。日本語に訳すなら「nationalist」は「国家主義者」で「countrist」は「郷土主義者」でしょうか。ちょっと日本人には分かりにくいかも知れません。

日本の場合は主権と国土と国民が相当濃密で密接につながっている、かなり珍しい国です。例えばお隣中国は公称5000年と言ってますが、主権たる政府はたったの70年そこそこ。豪州や米国のような人工国家ならそもそも月にでも火星にでも同じ国が作れます。つまり日本はそれだけ国土に根ざし、天皇家を中心に打立てられてきた国であることが分かります。故に日本ではnationとcountryは限りなくイコールに近い意味があるということです。

だからこそ、欧米社会運動よろしく「環境保護運動」などと改まらずとも伝統文化、日常習慣の一部としてそれが入っていなければならないと思ったりします。

例えば武家屋敷や城はいつも恐ろしくキレイに掃き清められていました。体裁もあるでしょうし、主の性格かも知れませんが、それは「いつもキレイにしていることによって、頻繁に周囲には人がいて、盗賊の侵入を威嚇している」という保安上の理由もあったそうです。こういう優雅な防衛策を生み出すのが文化というのもです。

武道の道場でも新入りは掃除をさせられたそうです。理由は簡単。小さなゴミを見つけるのはこれはなかなか注意力が要るものです。私の経験ではどこにどんなものがどのように捨ててあったかで、どんな人が捨てたのか推理するのが楽しみです。自然、注意力や推理力が身に付きます。こういうこすら稽古と見なせないようでは優れた武芸者にはなれないと思います。

それはともかく、我らが愛する国土に平気でポイ捨てするヤツには日本人たる資格はない!と・・・思ってしまうのでした。

また息子とゴミ拾い活動をしよう・・・。

平成二十六年睦月八日

不動庵 碧洲齋