不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

歴史を観る場合・・・とか?

私は歴史は好きな方ですが、基本的に歴史を俯瞰するときに注意することがあります。

それは・・・

「タラ・レバ・カモ」

の視点です。その時そこにいた人、決断せざるを得なかった人がベストの判断を下しました。それだけです。

それを既に結果が分かっている現代人があれこれ言うのは後出しじゃんけんのようなものであまり品もなければおもしろくもない。

とはいえ全然ないのもつまらないので、私的には歴史の本は解説プラスアルファの「タラ・レバ・カモ」が丁度よいと考えます。「タラ・レバ・カモ」はスパイスとかそんな程度です。スパイスでお腹は膨れないでしょう?

志が違っても、その時の志を遂げようとしていた先人たちには最低限の理解と敬意は持ちたいものです。

架空戦記物はややもたれ気味ですな。

芸術分野では後世になって見直される事もあります。それは当時のセンスに合わなかっただけで、現代では合うという意味です。

戦争の場合は違います。勝った人は名将だったかも知れませんが、敗将には名将はいません。正直、勝った人が名将であることもかなり怪しい。敗将が凡将ないし愚将だったことは間違いないかもしれません。ただ与えられた戦力で戦う場合、不利であったらいかんともしがたい。ただそういう場合でも戦う前から十分な研究をしている将とそうでない者とでは例え負けても敵からの評価が大いに違う。これは歴史的にそういうことが多いようです。国としてやる気がなかったら、名将でも勝てませんが、やはり厳しいようですが負けたら名将ではないのです。

戦争はとても非情です。特に現代戦では実は名将は必要ありません。

たくさんの武器や物資を継続的に戦地に送り、出来るだけたくさんの情報を用意して分析して詰める。ここまできたら戦火を交えるのはオマケですし、戦火を交える前から結果は分かることが大半です。大抵は勝利が分かってから戦火を開いています。デコレーションケーキにろうそくの火を付けるかどうか程度の違いではないでしょうか。現代では米軍にかなう軍隊などあるわけありません。がっぷり四つになって戦争するバカはどこにもいません。中国だってホンネはしたくありません。イカれてなければ。逆に米軍でも世界的規模での経済の影響の方が遥かに大きいことを知っていますから、米軍はゲリラに毛の生えたような連中に大金をつぎ込んで戦争という名の掃討作戦まがいのことをして散々なぶりものにしているというのが実情です。湾岸戦争の時の作戦規模がせいぜいでしょう。現代の軍隊による成果などはその程度のものです。

相手の2倍3倍の戦力を後方物資を含めて用意できたら名将は特に必要ありません。普通の将官で十分。

逆に相手が何倍もの戦力があるのに、戦術的勝利だけで戦略的不利を逆転させようなどと考える司令官はバカですし、秘密兵器で形勢逆転を狙うようでは末期症状です。旧日本軍、旧ドイツ軍然り。奇抜な兵器、トンデモ系兵器に国運を任せるようでは終わりです。ま、ドイツの場合は負けるまで優れた兵器でしたけど。秘密兵器とか試作兵器なんかに国運を任せて逆転するのはアニメの世界だけです。国運は基本的には旧連合国軍のようにどうにもツマラヌ兵器を死ぬほど大量に用意する、これ以上の作戦はありません。長い袖ほど美しく舞えるというものです。

天才軍師とか天才将軍、天才提督はアニメや映画では華々しいですが、結局は地域限定、戦術的な勝利、ご当地ゆるキャラ程度しか期待してはならない存在です。国家的にどうにもならない差があったら、戦争でどんなに勝っても形勢は基本的にはひっくり返ることは極めて希です。

特に日本の場合は寡を以て多を撃つようなものが喜ばれますが(世界のどこでもそうですね)、それはドラマだけの世界。現実にはやはり多い方が9割ぐらい勝ってます。日清日露では圧倒的不利な条件で勝ってますが、これは世界史的にはとても例外なんです。短期間に自国よりも随分デカい国と戦争してほとんどパーフェクトゲームなんていうのは普通あり得ません。そもそも、国家の存亡がかかっているときはそんな危ないことはしてはいけないのです。だから三度目の正直で日本はアメリカに負けました。これが普通です。

総司令官は基本、国家戦略の戦う部分にしか関わりませんが、間接的には経済や外交にまで思いを巡らせておかねばなりません。やはりそうしていた日清日露の総司令官たちは極めつけに優れていました。彼らの生まれた時代が将軍様や大名がいた時代というのだからもっと驚きです。第二次世界大戦の旧日本軍マニアの方には悪いのですが、しつこくてすみませんが敗将は凡将か愚将であっても名将たり得ません。だから山本五十六さんは愚将と呼ばれることはあっても名将ではありません。なんであんなにヨイショされるのか、私は少々理解できないときがあります。

私の感覚では例えば日露戦争で短期間にダントツにトンデモない戦死者数を出してしまった乃木将軍などは戦後、人格面でかなり賞賛されています。私なんかは結構非情なので、そういう賞賛致しかねますが、それはそれ、実際に対面した人の気持ちの方が間違いないことは確かです。接した多くの人たちが彼らを高く評価しているのですからそうなのだと思います。勝敗は歴史的事実でも、そういった敗将たちの人格や生き方にまでケチを付けるようでは自分の雅量に傷が付くというものです。会ったこともない人にはあまり過干渉をしても誰も得をしません。これは歴史に限ったことではなく、国と国の国民同士にも言えることです。議論するにもその国の立場も知った上で為す方が有意義ではないかと思った次第です。

平成二十六年睦月二十八日

不動庵 碧洲齋