不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

車を棄てた

昨日、予定通りに車を廃車業者に持込み、廃車手続きにしました。

今朝から車庫が空っぽになっています。屋根もあるので昨日夜に買ったクロスバイクを含めて現在4台の自転車がありますが、それでも十分スペースが空いています。

これで雨天でも自宅で独り稽古ができます。

車を処分した理由は幾つかあります。

一つは息子の今後の教育のためにより一層貯蓄に励みたいのが一つ。給料が安いというのもありますが(苦笑)。何かの本で収入如何に関わらず貯蓄ができる人は車を所有していない人が多いとか。確かに車を維持するには結構な金額がかかります。私も試算しましたが、軽自動車でもガソリン代込みで年間で20万円よりは安くならないと思います。公共交通機関を使ったらどんなに使ってもこの半分以下ではないかと思います。

特に息子には留学して米国などの大学で勉強して欲しいと思うので、お金はあった方が良いかという判断です。

以前ご紹介した環境問題の本です。ステータスとして、所有欲として、ほんのちょっとした贅沢や楽のための自動車保有は、確実に地球環境を悪化させています。排気ガスだけの問題ではなく、製造工程から廃棄行程まで全部に渡って、文明が過度の自動車保有をすれば、地球に害を為すことは目に見えています。私1人が自動車所有を止めてどうなることではありませんが、私は持たずにいられる環境下にいるので、できるだけ自然について貢献したいという事。自然環境保護うんぬんと言う方、今一度自分の生活環境を鑑みて自動車を所有せねばならないほどの環境かどうかをよくよく吟味してみてください。

江戸時代の人が現代に来たとしたら、科学文明の利器以外に一番驚くのはたぶん「運動」ではないかと思います。オバチャンたちが楽しくただ「歩いて」います。高いお金を払って体力を維持したり筋力を上げるためだけに時間を費やしています。体力維持のためだけに時間を費やすという行為はなかなか理解しがたいのではないかと思います。便利というのは一面的で、歩かなくなると足腰が弱りますので、あと50年したら寝たきり老人がうなぎ登りで増大します。これは間違いありません。今の老人たちはそれでもよく歩いていた方だと思います。

私は武芸の稽古の一環として、都内に出ると(別に日常的でもそうですが)他人の歩き方をつぶさに観察します。一言で言うと絶望的なくらいに悪い人があまりにも多い。腰痛とか肩こりとか言う前に歩き方が悪いのでたぶん座り方も悪いのでしょう。歩き方を知らないというのでしょうか。時々体育館の下駄箱などに置いてある他の方の靴を手にとって靴底を観察するのですが(笑)、そこのすり減り方がとても不健康。正しい減り方ではない。しかも小学生ぐらいの靴でもそういう人が多いので気分が暗くなります。

江戸時代の人は色々いますが、例えば江戸在住の侍だと1日10キロ前後は歩いたようです。これは江戸東京博物館の資料にもあります。歩数にすれば10000-15000歩ぐらいでしょうか。たぶん人は1日このくらい歩くとそこそこ健康は維持できるのではないかと思います。もちろん現代ではアスファルトの道路を歩くことが多いので、同じぐらい歩くと膝を悪くするかも知れませんが、それはそれで現代では非常に優れた靴が販売されていますから、そういう意味では現代文明の利器を活用したいところです。

武芸を始めて間もなく30年になりますが、私はどちらかというと量よりも質を重視して鍛錬してきました。理由は簡単、私は横着な方だからです(爆)。もちろん量の稽古もしましたが、体力と精度を鑑みるにこれ以上汗水流して長い間稽古してもそうそう上達はしなくなってきました。道場内での厳しい稽古は無論必要です。これはなければダメです。しかしそれだけではたぶん人並み以上にはなれないというのが持論です。私が知る限りでは稽古の意識を日常茶飯事にまで行き届かせている人ほど技量に優れています。人間的にも優れている人が多いように思います。道場の中で息も絶え絶え、激しい稽古で汗を流してその後は切り替えているようではスポーツ選手の意識です。スポーツ選手が悪いというのではなく、武芸者というのは基本志してから死ぬか辞めるまで息を抜かない、気を抜かない、これだと思っています。簡単に言えば箸の取り方から器の持ち方に到るまで、最近はものすごく意識が届くようになりました。精度とか拍とか間合いとか、そういう感じでしょうか。これは道場に入ったら意識を切り替える、とういうレベルでは到底たどり着きません。日常の動き、日常の生活の中に武芸の動きが溶け込んでいなければなりません。私が考えている究極の武芸の動きは自然の中にある、自然現象です。一歩下がって人の日常的な動きです。

それを最短距離で近づくために色々考えましたが、やはり歩く、一歩譲って自転車などに乗るのが一番ではないかと思った次第です。歩けば道端の木々の四季の変化、景色の変化を観察することができます。人の動きもより多く観察できます。下半身の鍛錬は私が求めるミリ単位の動き、自然現象レベルの潤滑な動きに大きく貢献すると確信しています。

そういう総合的な稽古環境の習得が、今回車を廃棄した理由にもなっています。私はできるだけ楽をして高みを目指したい。熱血スポ根よろしく、汗水ダラダラ流して、血を吐いて練習に打ち込むようなことはなるべくしたくない。これでやった気になるのと実際できるのとでは私の場合ですが少し違う。横着結構、怠慢結構。量で得られるものも貴重ですが、量は目方で量れる程度以上のものではありません。まあ、私のいい加減な稽古方法かも知れませんが。

横着ということで、車はあれば乗ってしまう・・・という意志の弱さが、結局最大の問題点でもありますが(笑)。徒歩でどれほどの効果があるのか、今後ともブログでアップして参りたいと思っております。

平成二十六年睦月六日

不動庵 碧洲齋