不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

科学文明に思うこと

留学時、米国人に対して驚いたことが幾つかありました。

一つは部屋。寮の話しですが、夏は毛布がないと風邪を引くぐらい、エアコンの温度が低いこと。無論、冬場は薄いタオルケットで十分なほどに暑い。

大都市ではなかったのですが、公共交通機関は基本貧乏人が使うものとして考えられています。もちろん大都市では日本と同じ感じに使われていますが。

健康志向の方はことさら走ったり自転車に乗りますが、それ以外は車での移動。まあ、アメリカは大きいのである程度は仕方がないという側面はありますが。

日本では公共交通機関や自転車が多用されています。

日本に来た外国人たちが驚くのは、科学文明が発達した日本で自転車がかくも多用されていると言うこと。人の移動の割にエネルギー消費が少ないことを意味します。

とはいえ日本にあるエアコンの数は実は世界の数のかなりを占めていてビックリしたことがあります。ネットで調べたのですがちょっと今、出てこないのですみません。

私たち人類は科学文明を正しく使っているのでしょうか。

野辺の可憐な花を摘み取るのに大鉈を振りかぶってはいないでしょうか。

夏を冬にする、冬を夏にする。

昼を夜にする、夜を昼にする。

最近、科学文明はこういう事をするためのものではないと思うようになりました。

寒さをちょっと和らげる、暑さをちょっと和らげる。

夕暮れを少しの間だけ明るく、昼間をちょっとだけ陰らせる。

そういう奥ゆかしさあっての科学文明であらねばならないと思うのです。

夏は元々暑い、冬は元々寒い。当たり前です。当たり前の事を受け入れられなくなった私たち人類が、どんどん地球環境を破壊しています。

私たちは原始人の生活には戻れませんし、そうする必要はありませんが、今の人類の在り方を「我ありき」から「母なる大地ありき」にした科学を駆使すべきではないかと思うのです。

親孝行と言います。親のために少々の薪水の労を惜しまぬ事です。同じ事を地球にできないものでしょうか。先進国の人がほんのちょっと我慢をして、もっと貧しい人たちに譲る。最新の科学を調和のために用いる。少々理想論が過ぎましたか。でも環境の異変はもう来ています。このままだと今世紀末には人類が生き延びられないほどに環境が激変するか、かろうじて生き延びられる程度に激変するか、どちらかになってしまいます。侵略をもくろむ異星人の侵略ではなく、私たち自身の手で地球を破壊していまいます。

一歩譲って私たちの世代が乗り切っても、私の子供の世代は地獄になってしまいます。息子は宇宙飛行士になるべく、日々を楽しく努力しています。そういう子供たちの夢を壊したくない。

私たち人類は高度に発達した科学文明で武装していますが、甲冑は動きが鈍い、着心地も悪い、そして視界も利かない。環境破壊はそのまさに見えないところで起きています。甲冑は戦闘時以外は全くお荷物になるだけで役に立たない。そもそもそういうものを着ていると疲れる。甲冑ではなく自らの肉体を鍛えるような視点での科学文明であることは出来ないだろうかと思います。人と寄り添える、疲れさせない科学、とか。

ここ2週間ほど、3キロ圏内は全て徒歩で移動し、10キロ圏内は全て自転車で移動して思ったことでした。これを何年か続けたら、また何か考えが変わるのではないかとも思います。

平成二十六年睦月二十日

不動庵 碧洲齋