不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

竹の皮

過日のこと、たまたま茶道を習っている知人宅に訪れたところ、友人は狂気のように何か悪態をつきながら探しものをしていました。正直その顔つきを見たときは引きました。狂気が宿っているという言葉がまさに当てはまるような感じです。

捜し物は竹の皮、炉開きのために一品を作るつもりだったようですが、それが見つからずイライラ、カリカリしながら探し回っていたのでした。結局私も手伝い、5分で発見。まあそういう事態です。落ち着いて「ありがとう」などという殊勝な言葉も出るはずもなく、テンションが高いまま調理に入りました。さぞやうまい一品が出来るんだろうなと言わずにはいられない程。私がたまたまついていたテレビで静岡のノロウィルスで1000人が被害に遭った様を見ながら「オイオイ、どういう衛生管理しているんだよ・・・」という何気ない言葉にも「どうしてそう攻撃的なことしか言えないんだぁ!」と悪態をつく始末。本人のヒートアップ振りは自分でも分からなかったようです。

たかが竹の皮一枚にここまで心を砕く理由があるのかどうか。そもそも茶道で何習っているんだと言いたくなりましたが黙ってました。結局それがそのままその人の志の高さです。見たところその知人は知識と技術をほどよい環境で学習しているだけのように見受けます。深い部分とか高い精神性というようには残念ながら全く見えません。いわゆる道場茶道のお茶です。心地よい茶を出せるかどうかではなく、どれだけ自分かカンペキに演出できるかどうかに腐心しています。そういう教え方をする先生も先生なら弟子も弟子。想いを馳せて利休が人をもてなすためにどれだけ心を砕いたのかをほんの少し慮れば、悪態をついたり、見るも恥ずかしい態度は出ないはずだと、私などは思います。

正直その知人に対しては呆れることしばしばですが、それはそれ、人には自ずから進む速さが違います。私は年齢相応に理解がないという点に重きを置きたいところです。また、自分の弟子にはこういうのはなしにしたいと、内心自戒するものがありました。

それにしてもこういう疲れることは、いい加減ヤメにしてくれないかな・・・(苦笑)

平成二十六年睦月十八日

不動庵 碧洲齋