不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「永遠の0」を観た

久しぶりにインパクトがある映画でした。事前に小説を読んだにもかかわらず、思わず泣きそうになりました。

(実はちょっと泣いた)

私も今、先祖を調べています。近いところでは母方の祖父を調べました。

戦争当時、エースパイロットだった宮部さんが生き延びる事に拘った理由。妻子ある身なら分かると思います。この感情は別段映画のスクリーンにするまでもなく、人類普遍で誰でも持っている心情です。

海外での旧日本軍の評価、そして近年見る反中、反韓を叫ぶ人たちのかなり多くに見られる国粋主義には大いに違和感を感じます。戦後70年を経て、どこぞの不良国家と一戦交えるも良しと言うようなことを平気で書く人が散見されますが、私は戦後70年に亘り戦死者を出さずにすんだその事実はどうなるんだと言いたい。自衛隊は戦闘経験はないもののかなり強いことが予想されますが、それでも多分、死者は出ます。

主人公が真珠湾攻撃の第1次第2次攻撃での未帰還機について述べているところがあります。合計29機。アニメでもSFでも主人公の乗るメカの背景でよくピカピカと爆発したり、主人公やライバルにボコボコ墜とされる、あれです。「永遠の0」では主人公がそれについて言及していましたが、実は小学生の時、初めて真珠湾攻撃を本で読んだとき、私が一番衝撃的だったのも実はその未帰還機数でした。だから小学校低学年の時からその数字は良く覚えていて、特に何故か大人になってからよく思い返します。

私は外交の一手段として戦争に対して絶対反対をしません。手段の一つとして肯定します。私たちは天国に住んでいるわけではない以上、ある程度互いに武器を向け合わねば生きていられません。悲しいことではありますが。しかし現代に於いて戦争を始めるリスクは計り知れない影響があります。日本が戦争を始めたら株が暴落します。貿易で生きている日本は貧するでしょう。GDP1パーセントどころではなく、10パーセントぐらいにした敵に圧倒しますか?老人が増えてきたこの国で手始めに何から予算が削られますか?私は米国が戦争をする度に福利厚生や教育からガンガン削られるのを見てきました。それでも戦争をするために大金を惜しまない米国人に、私は時折嫌悪感を抱きます。

私は外交技術を以て紛争を未然に防いでくれるだろう政治家を選びますが、その人も戦争をしないとどうにもならないと言ったら全力を以て国民の義務を果たします。行けと言われたら戦場にも行くつもりです。祖父も子供3人残して行きました。そういう犠牲になり立った今の日本を守るために自らが選んだ政治家たちがそう言うなら行きます。もっともハイテク兵器が使われる現代で、昔みたいに徴集されてどうなるものではありませんけど。せいぜい出来ることはたくさん税金を払ってボランティアをすることぐらい。でも戦争が終わったら自己嫌悪感と敵国との講和の中で双方いや~な気分になること間違いなしです。たぶん随分近い国でしょうから、余計です(苦笑)。

私はいつも「侍・武士」よりも「武芸者」たろうと努力しています。侍は名誉の死があり、生を惜しまぬ哲学があります。名誉のために死す、腹切りに代表されます。武芸者は例えば当流でも知られている「忍び」ですが、どんな汚辱を受けても生き延びることを旨とします。生き延びることそのことは、それを意義づけることよりも重要です。そういう意味で私は侍を手本とはしません。(たまに手本にはしますが)絶対に死なねばならぬその時は名誉の死ではない。だから実は「散華する」とかいう言い方が大嫌いです。私の祖父は戦争に殺された。それだけです。

私は武芸者として修行すべきは、死ぬべきその瞬間を見極め、それの瞬間に美しく死ねるかどうかにかかっていると思っています。美しいの定義は色々あるでしょうけど、私の場合は家族や家族でなくとも誰か見知らぬ人でも助ける為に死なねばならないときに、躊躇せずにそれをする、そう考えています。例えばですけど。

私も息子も太平洋の島々で幾つか行われたバンザイ突撃や総司令官の自決というものに対して嫌悪感を持ちます。作戦の立てようがなかったら武器を持って将兵らと共に突撃して下さい。人は死にますが、何かの用に立って死ぬべきです。自らを飾り立てるためではありません。そういう意味では大東亜戦争当時の多くの軍人(特に高級軍人)の精神は明治時代のそれに比べると退化しているように思っています。意味のない死が一番許されない。そういうことです。

似たような境遇の映画がありました。「硫黄島からの手紙」。これも主人公が生き延びることに拘っていました。、彼の場合は生き延びましたが、高級将校の中にもそういう人が多くいたら日本軍の戦い方も勝てなくとも、もっとマシになったのではないかと思います。

戦争が70年もないと、先の大戦で数百万人もの犠牲を出し、周辺諸国を併せたらもっと膨大な数の韻めいが失われたという事実もなかなか実感として涌いてきません。これはある意味仕方のないことではありますが、先祖が流した血の尊さは、それを子孫に繋いでいればこそです。膨大な数の先祖が私まで収斂し、そしてそれが息子を通じて未来の子孫に広がるという実感は、子供のいる家庭ならよく分かることだと思います。

日本の日本たる精華の所以は「和」であることです。世界が日本に敬意を持っているのは国民がよく「武」を理解し、侍には敬意を持ちながら「和」を尊んでいるそこではないかとよく思います。勇気も必要ですが和のためには忍耐を強いられます、寛容も求められます。理解に苦しみ時にはやむなき手段も執るかも知れませんが、何が日本を日本たらしめているのか、世界中を見渡してよくよく考えてみたいところです。

映画の最後、あの「還ってくる」奇跡は戦争のむごさ、平和を希求する日本人の姿を見た気がします。先祖の流した多くの血の故、先祖たちの願い求めているもの、そういうことを「永遠の0」を観た後に考えました。

平成二十六年睦月十七日

不動庵 碧洲齋