不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

価値観をどこに置くか

教育論を論じるほどには長けていませんが、自分の子育てには自分なりの考えを色濃く反映させています。(あくまで私個人の、という意味で)

息子は本気で宇宙飛行士になりたいと思っています。

一番いけないのは「じゃあもっと勉強して、いい中学校、いい高校、いい大学に行かないと」とまくし立てること。こういう親はたとえレベルの高い教育を受けていても愚か者です。それは教育とは言いません。そういう愚かなアドバイスは子供がお腹を空いていたら口元まで食べ物をスプーンで持って行ってやるような行為です。

教育は腹が減ったら忍耐させ、尊い他の命を奪って手間を掛けて料理をして、感謝の念を持ちつつ自分の手でそれを食べる、そこまでのプロセスを理解させることです。

宇宙に何故行くのか、それによって人類にどんな利益があるのか、そして自分はどのくらい満足できるのか、色々ですが、そういう興味を最大限にかき立ててやった上での、結果としての勉強です。あと20-30年後には、宇宙飛行士はたぶん、飛行機のパイロットと同じぐらいの難易度になるかもしれません。それでもかなりの難関ですが、それを突破できるかどうか、親は祈ったり、少し助けられるだけです。決めるのは本人です。

私は息子が宇宙飛行士は無理だからエンジニアとか禅僧とかに進路変更しても一向に構いません。彼の人生ですから。否定してはいけません。いい加減に選んだり、明らかに道を誤った場合ではない限りは親が出しゃばってはいけないと思います。

子供の人間性はたぶん、親の価値観が反映したものだと思います。

私の場合は神仏を尊びますが、基本自力本願です。

毎朝真摯に仏壇に向かいますし、たぶん普通の人よりはずっと多く、お寺や神社に行き、住職や神主と語ることは多いと思いますが、神頼みは徹底排除です。

世界中に友人がいます。たぶん国際的だと思っています。しかし息子には日本人であることとは、日本人であるためにはと、口を酸っぱくして日本人であることの誇りを言います。

英語は重要ではあるが、日本語を正しく、そしてできるだけ美しく使いこなすことに重きを置いています。その上での外国語の習得です。

私の会社の工場は中国にあります。よくやり取りをして気心知れた中国人スタッフもいますし、研修生が来たときは必ずもてなします。そういう上での厳しい中国批判です。

武芸をしているので、普通のチンピラぐらいなら1個小隊分ぐらいなら撃退できます(笑)が、暴力は絶対否定の立場を取ります。他人に被害が及ばない限りは暴力反対です。殴られて全て丸く収まるなら殴られるべきです。

昔からサバイバリストです。手足がもがれても生き残った方が勝ちです。どんな状況でも死んではならぬと言いますが、一方で他人の危機を目前で見過ごして生き残るぐらいなら、それに飛び込んで死んでもよいと言います。名誉の死は恥辱の生に勝ります。

こういうもしかしたら矛盾とも思える価値観を息子に包み隠さずに見せます。

質問にはがっぷり四つになって徹底的に語ります。面倒だから、忙しいからとかいう理由で相手にしないことはまずありません。

親が持っていた価値観を子供は自分の秤、物差しにします。私もそうでした。

親の何気ない言動が、子供たちにとっては日々の価値観の形成に繋がります。

だから子供と接するときは刺し違えるつもり、果し合いのつもりぐらいでないと、本当のところは示してやれないものだといつも思っています。(できているかは別として)

私は真剣勝負で息子と相対しています。テキトーな気分で「宇宙飛行士になれるよ」なんて言いません。どうして物体は今のところ光速以上に速度を出せないか、一緒に一生懸命考えます。どうやったら月面基地を合理的に作ることができるか、息子が調査した結果を真剣に聞きます。

こういうことはどの親でも必ずできる事だと思います。

少なくとも子供が学業を終え、社会人として自覚が持てるまでは、そのくらいの気持ちで接していきたいといつも思っています。

平成二十五年師走四日

不動庵 碧洲齋