不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

これが使えないと人類失格

日曜日に我が家はガス会社の催事に行ってきました。

うちにプロパンガスを供給している会社です。

ガスフェアは年に一度の催事のようで、各種ガス器具はもちろんのこと、色々な露店もあり、格安で食べることができました。

何でそんなところに行ったのかというと、我が家で20年近く使い続けてきたビルドインガスレンジがそろそろ寿命を迎えようとしているからです。

我が家では極力息子に用いさせている道具が二つあります。

一つは刃物。

一つは火。

ご存じでしょうか、人類が火を使い始めたのは一説には約160万年前で、石器を使い始めたのは約250万年前だと言われています。つまり我々人類は150万年以上も火と刃物にお世話になっています。

ところが、昨今、我々人類は火や刃物と直に接して扱う機会が激減しています。

スマホ等の電子機器だけは非常に器用に使いこなせる現代人がいます。

どうなんでしょう、こういうのは。

せい私は人類の衰退ではなかろうかとすら思います。

サバイバル状況に在って、やはり超基本的な道具は火と刃物です。

これらが使いこなせないと、どうしようも無い場合が大半です。

ガスレンジは今使っているものに比べて恐ろしく進化してました。

三つのレンジと一つのグリルには温度センサーやタイマー、安全装置があり、三重四重の安全機構が働いています。掃除もかなり楽になります。グリルなどは両面が一度に焼けます。

それはそれでありがたいのですが、そういうものに慣れてしまうと本来そういうことに注意を払えない、ある意味生存不適格者までがのうのうと生き延びてしまいます。これを文明と呼ぶのか何なのか、私には分かりません。ただ本来生存に適さない人が普通に暮らせてしまう社会がどれほど健全なのか疑問には思います。

安全機構はどうしても必要ですが、過度の機構は人が保つ本来の本能や能力を衰退させます。最近車に付いている自動停車装置などもそうでしょうか。本来、注意を払えない人を車に乗せるということに恐れを感じます。

どの程度サポートすべきか、これが文明の見せ所ではありますが、個人的にはキカイを進化させるより、より難しい人間の能力を向上させる方を選びたいところです。私は息子にはそのような趣旨で教育しています。刃物でも火でもちょっとぐらいの怪我ならそのようにさせて、経験させます。これは一つ二つの安全機構を身代わりにさせるよりもずっと希少で重要な事ではないかと思います。

子供のいる家庭では、機会があったらキャンプなどで火や刃物を親と一緒に使ってみることをお勧めします。

平成二十五年師走三日

不動庵 碧洲齋