不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

今上陛下八十歳の日

昨日は皇居に行きました。

私は愛国の情はどこででも出来ると思っていますし、わざわざ皇居に行って天皇陛下万歳をするだけが愛国心だとも思いませんが、取りあえず今回は是非とも息子に天皇陛下と皇族を直接見せてやりたかったことと、同門米国人がたまたま来日していたので見せたかったというのもあります。

昨日は寒かったですね。それでも6時半のバスに息子と乗って竹ノ塚駅まで行き、そこから北千住まで。北千住駅ではドトールで朝食を取り、時間調整のために一休み。息子は前日に買ったパズルの本を一生懸命に解き、私は「永遠のゼロ」を読みました。その後、千代田線で大手町まで行き、同門と合流しました。

さすがに8時だとまずまず早い時間。かなり前の方に並ぶことができました。当然ながら当日は厳重な警備体制。東京駅に通じる道で案内をしていた女性警官はアナウンスがうまいだけでなく、ちょっとアイドルっぽかったな(笑)やっぱりそういうところでは容姿も考慮されるのか(笑)?

待っている間に小旗が配られました。息子も同門ももちろん皇居に来るのは初めてで、2人とも興奮気味でしたが、待っている間、同門と日本文化について日本人のものの考え方について色々語り合いました。特に天皇が政治的権力を持たない意義や日本人の民主主義のものの考え方など結構語りました。

息子が生まれる前に新年のご挨拶の折には皇居に行きましたが、その時も豪州のホストファミリーの娘さんを連れて行きました。今回は米国人。周囲を見渡すと結構な数の外国人がいました。とてもよいことです。時間が来て中に入ると早かっただけありお出ましになる窓のかなり前の方に位置することができました。息子は背が低くて見えないので、陛下がお出ましになったら抱き上げると言うことで。

その間、周囲の人たちを観察していましたが、1人とても印象に残った人がいました。年齢的にはたぶん先の大戦で兵士として戦ったぐらいの年齢の老人でした。思い詰めたように結構ぎゅうぎゅう詰めの場所からなるべく前に行こうともがいており、そのうち私のすぐ近くで前に進めなくなり、立ち止まりました。周囲からはひんしゅくの声もありましたし、私も最初はそう思いましたが、その老人の横顔を見ていて、たぶん先の大戦で戦った意義やその犠牲を陛下の存在の中に見出そうとしていたのかもしれません。戦争で地獄のような体験をした人にしか分かりません。戦争体験者をここ70年近く出していない日本では、彼らの感覚を知ることはとても難しいように思います。

あと、驚いたのがわざわざ台湾からいらいた一行。旗には「台湾政府1車/2車」とかあったので、結構大きな団体だったのでしょうか。結構な数の台湾人が来ていました。息子にも説明してやりましたが、息子には反日を唱える中国と国交があり、親日を唱える台湾と国交を持たない異常さに、帰宅するまで不満そうでした。

私の海外の同門友人には戦場に行った人がたくさんいます。彼らの雰囲気はやはり少し怖い。殺伐としている人もいます。思うに戦時中のまともな軍人は、反日国家を感情的に罵倒して、皇室を盲目的に崇拝している類の人たちとは本質的に違う気がします。私は息子を世界を寛く見る目で、天皇家を中心とした日本の在り方を見据えられる人間にしていきたいと思っています。

右翼団体の方々もたくさん来ていました。彼らがどのような主義で来ているのか、観察していた限りではうかがい知れませんでした。純粋に皇室に敬意を持っていたのか、違うのか。分かりません。ただその場ではとても礼儀正しかったように思います。

天皇陛下以下、皇族のお出ましの時は旗が振られ、多くの人たちが「天皇陛下万歳」の三唱がありました。一般の方ではなかった気がしますが、一般の方でもそうした人はいたのでしょうか。やはり陛下は尋常ならざるオーラがあります。皇室の人間が持つオーラはやはり普通の人ではないと感じます。見ている人を幸せにして、安心感を与える。周囲の人たちは皆、そう思ったようでした。最近は若い人も増えてきたと言うことですが、息子と同じぐらいの子供を連れてきた家族も幾つかいました。

息子は陛下たちのすぐ前ではほとんど唯一の小さな子供で、パープルの目立つダウンジャケットを着ていました。小さかったので私が抱き上げたのですが、結構目立ったと思います。皇后陛下は息子と目が合ったように思いました。息子もそう言ってました。有難いことです。

帰路、レストランで一休みした後に靖国神社に行きました。

米国人を連れて行ったのは初めてです。さすがに神社は混んでいました。なので最初に遊就館に行きました。遊就館が国立の戦争博物館ではないこと、日本には国立の戦争博物館はないこと、靖国神社戦没者を弔う神社であるが、ここ最近は天皇陛下行幸もなく、総理大臣の参拝すら憚られるのは中国と韓国の国民感情によるものだと説明しましたが、同門と息子は強く憤っていました。同門はアーリントン墓地と同じく、戦場で死んだ人は皆、敬意を受けるべきだと主張していましたが、たった二ヶ国の反日国家のためにそれもままならぬ日本政府に呆れたようにも見えました。私もまったく同意します。

同門米国人には特攻隊隊員の遺書を見て欲しいと思い、英訳された遺書を読んでもらいました。何か思うことはあったようです。

帰路はたまたま骨董市が開かれていたので同門は香炉、息子は鹿の角を買いました。香炉を買った店では同門の男ぶりが大いに気に入られ、色々付けてくれました(笑)。

帰路は電車の中で日本の軍艦にはどんなに偉大でも人名は使われないことについて、色々日本と米国の文化の違いについて語りましたが、こちらにも彼は非常に感銘を受けたようです。人のはかなさ、自然の悠久さについて日本人がどのように考えているのか、非常にわかりやすい例だったと私は思います。

帰宅は15時過ぎでしたが、三連休最後と言うことで息子と読書をしたりして過ごしました。

息子は靖国神社の参拝時、参道の中央に落ちていた小さな石ころを持って帰っていました。理由を聞くと、その石が持って帰って欲しいと行ったからだそうです。私の母方の祖父がそうさせたのでしょうか。仏壇に安置しました。

これから機会があれば、また息子を連れて皇居には行きたいと思います。息子は天皇という存在は日本そのものだということをリクツではなく体感として感じ始めていますが、これあるからこそ世界から敬意を受ける日本人になれるのではないかと思っています。

写真は持ち帰ってきた国旗と靖国神社の小石

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平成二十五年師走二十四日

陛下傘寿を祝して

不動庵 碧洲齋