不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

常識と非常識

私の知り合いでよく私に「君は常識がない」「君は常識に欠けている」「君はとても非常識だ」とご親切にもアドバイスしてくれる人がいます。「識」とは是非や善悪の見分け方、判断の仕方、またはそれを司る心の働きをいうようですが、一方世の中には「諸行無常」とありますから、世の常なる「識」が何なのか、毎回言われる度に考えます。

先日はたまたま息子もその場にいました。息子は後で言いました。

「あの人の常識っていうのは自分の都合で言っているだけだよ。世の中の正しい正しくないで言っているわけじゃないんだ。もうちょっと自分から離れたら、よく見えるのにねぇ。」

その知り合いは大学出は教育学だったかを学び、伝統芸能も稽古しているいい大人ですが、10歳の子供の智慧の方が遥かに勝っているようです。息子は「自我」を離れて観ることができるようです。

自分という物差し以外でものを計ることがあるという事実を理解しています。世の中の常識をバックに付ければ何を言っても構わない、理詰めは全て正しいと思う人間社会の歯車が動き出すと人はある意味狂気に走る。ヒトラーやナポレオン、中国の暴君などはまさにそんな感じではなかったかと思います。

非常識は困りますが、常識は知られている中、認識されている中での話し、未知の世界を目指す人にとって、いかほどの価値を持つのか。息子にはそれが見えているように思います。これはもちろん本人の夢に向かう力がそうさせていたり、仏教の教えが浸透しているからでもあると思っています。

平成二十五年師走二十四日

不動庵 碧洲齋