不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

国際交流についてちょっと・・・

google辺りの変な訳を真に受けないで欲しい・・・。

今朝、顧客から来たメールには見慣れない日本語が・・・

「こんにちは、あなたは罰金をやっている願っています」

・・・は?(笑)

ヤバッ、俺何か通関書類でミスって罰金払うのかっ!

・・・って、ほんの一瞬焦りました。

もちろん、違いましたけど(ホッ)

たぶんこのお客様は

「Hello, I hope you are fine.」とかなんとかいう母国語を和訳するため、google辺りのweb翻訳にかけて、訳語を真に受けたのでしょう。

やれやれ。

私は色々な不可抗力的条件があったおかげで、取りあえず不自由しない程度には英語を話すことができます。

今時は英語ぐらいは話せる人は結構多く、日本人としては嬉しくなってきます。

ガンバレ若者!といったオヤジの心境。

でも、何と言うか海外の一般的なレベルに比べるとまだまだ少ない。

全然、お話にならないほど少ないです。

海外の国の人たちがバイリンガル以上であることの理由は色々あります。

不幸な歴史や地理的条件もあるでしょう。

外国語を学ばずに、世界トップクラスの居住環境を維持してきた日本の神がかり的なラッキーさは改めて言うまでもありません。

しかし、今はそういうことを言っている場合ではない。

今や相手を識らずに済むほど世界は広くなく、まったりしていることだけが許されるほど世界の流れは遅くない。

外国語が話せるというレベルでは、正直ダメなのです。

留学中にも、そして今でもたまに見かけますが、マシンガントーク、流ちょうなシャベリ口、そういうものではないのです。

うまいけど、中味がスカスカです。留学中にメチャクチャ英語がうまい女の子が、米国人の問いに全く答えられなかっただけでなく、それが重要な問題と認識できていなかったことに恐れを感じました。

私が目指すのは・・・

「語感を感じる/感じさせる」レベル。これです。

これはある程度、文法や語彙も必要です。これは間違いありません。そしてこれに関しては私もまだまだ満足がいきません。

しかしもっと重要な問題があります。ことばを話す際、決して忘れてはならないのは、

「言葉『で』話す。」のであって「言葉『を』話す。」のではないということ。

言葉という道具で何かをすることです。

例えば言葉という調理器具で料理をするなら、素晴らしい食材が要ります。

少々誤解を恐れずに言えば、貧弱な調理器具でも素晴らしい食材があれば実は目的は果たせます。私が是とする「国際交流」はこちらです。

調理器具はよほどその国の文化に根ざしたものでなければ、鍋や釜はどこの国にもあります。

しかし食材はそれに比べるといまだかなり地域に根ざしたものが多いと言えます。

そういう意味では例えば日本文化を紹介するにしても、日本語がかなりうまい外国人が書いた日本文化関係の書籍よりも、英語力がやや劣った日本人が書いた日本文化関係の書籍の方がより真実です。(もちろん外国人の目から見た文化論は、それはそれで重要ですが)

私は鈴木大拙新渡戸稲造の書籍の書き方がとても好きです。私が書いているヘボい書き込みもそれを目指しています。自分でもかなり貧弱ではありますが、それでも海外の多くの友人は日本人による書き込みを歓迎し喜んでくれます。国際交流の在り方はこういうものではないかと思います。

人種や国に対して偏見を持たず、寛い心を持ち、理解力や忍耐力、言ったらきりがありませんが日本人が今まで持っていたものそのものを持ったままに接すればよいと思います。究極的に言えばそれだけです。

特に若い世代(こういう言い方は好きではない)、国際交流で重要な事は他国を知ることではなく、母国を深く識っておくこと、母国に深い愛情を持つこと、これ以上に重要な事はないと言えます。

例えばアメリカ人でアメリカの悪口を言い、祖国の習慣にケチばかり付ける人を信用できますか?私はそんな人間は信用しない。政治に関しては別ですが、伝統的な受け継がれてきた価値観を否定する人間には概ねロクなのがいないと言えます。頭がよいと尚更始末が悪いとも言えるかもしれません。

ギネスブックによると世界で一番古い国家は日本で、世界で一番古い一族は日本の皇室だそうです。それを否定もしくは難癖付けるような人はたぶん、世界ではあまり敬意を受けません。言っておきますが、市井であれば中国であれ韓国であれ、北朝鮮でもそういう人は信用されないと言えます。

国際交流では国家があなたをバックアップしてくれるわけではありません。

外国人と接するときは、あなた自身が国家の代表になります。

あなたの振舞や言動だけが対応した人にとってあなたの国そのものです。

だから私はそういう心がけでいつもSNSに書き込んだり接したりしています。

これから先、科学力や経済力で落ち目に遭う事はあると思います。それは人類の歴史を見れば一目瞭然、それが世の流れ時の流れ。諸行無常です。そんな些末なことにこだわってはならないと思います。しかし、日本人として落ち目に遭うときは、それは日本人としての価値が没落するときです。

日本の近隣にも畏敬の念を抱くに値する、雄大な歴史があったのに、たった半世紀ちょっとでガラリと変貌して見る影もなくなってしまった国もあります。

決してそんな日が来ないことを祈って、いささか教条じみたことを書き綴りました。

平成二十五年師走二日

不動庵 碧洲齋