不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ネルソン・マンデラ氏

先日、南アフリカネルソン・マンデラ氏が亡くなりました。

彼がどれほど偉大だったかは、色々紹介されていると思うのでそちらに譲ります。

今現在、私が生きている間にいる(いた)、私が特に優れていると思う偉人としては、教皇フランシスコ、ダライ・ラマ14世ミハイル・ゴルバチョフ氏、そしてネルソン・マンデラがいますが、ネルソン・マンデラ氏は人類に偏在する人種差別と戦ってきたという点で他の三方よりも私的には高い評価です。

高校生の時に読んだ伝記がきっかけで彼に非常に興味を持ち、古本屋でなかなか手に入らない彼の本を幾つか買って読みました。

人種差別というのはなかなか日本では分かりにくいというのが、留学をしたことがある私の体感です。

もちろん日本にも在日朝鮮人への差別や非常に少なくなったものの部落差別もあります。しかしそれは見た目では全く分かりません。例えば黒人差別は目で見えるのです。私は留学中にその差別を時には恐怖を以て見ました。

アジア人である自分が差別されたらどうしようという考えは、最初に留学したカンザス州ではずっと付きまとっていました。

大学の寮にある食堂では何とはなしに黒人と白人が別れて座っていました。別にそういう決まりはなかったにもかかわらず。マイノリティーだったアジア人は心細い思いをしました。

中華系マレーシア人と車で旅行したとき、メキシコ国境を通ったとき、私のパスポートはほとんど見もせずにスタンプが押され、マレーシアの友人たちには10数分間に亘って質問され、挙げ句に車の中まで調べられました。

以後、必要な場面を除いて自ら日本人だと言ったり、パスポートを見せびらかすのは控えるようになりました。日本人は自らの言葉や行動でそうであることを知らせるべきだと思うようになりました。

サウスカロライナ州では明らかに人種差別のために、料理が運ばれることが恣意的に遅くさせられたことがありました。このときは店長か弁護士を呼べと凄んで見せましたが、たぶん、それをした担当のウェイトレスは日常的にそうしているのだろうと思いました。

カンザスでは夫婦はほぼ100%、白人同士、黒人同士でした。たった一度だけ、ショッピングセンターで白人と黒人の夫婦を見かけました。その時の周囲の冷たい目線が今でも忘れられません。日本人と言えば少なくとも差別されることは希でしたが、白人でないことにへこみそうになったことはあります。

南部から転校してきた日本人の学生ではあからさまに差別を受けたという人がいました。目に見える差別というのはやはり厳然としています。

一方で、ボストンに行ったときには驚きました。他の地で見た多くの黒人に比べ、とんでもなく誇り高い表情でした。その当時、南北戦争にはまっていたのですが、南北戦争で戦った黒人兵たちのような様相でした。やっぱりボストンは違うなぁというのが私の感想です。

見た目で差別してしまうのはたぶん、人の性です。良し悪しに関係なく区分してしまうのでしょう。白人が高貴だとは全く思いません。世界の大きな悪いことの大半は白人によって起こされています。アジア人でも黒人でもありませんから。日本人が経済的な繋がり故に名誉白人に列せられたことを思い返すと気分が悪くなります。

そういう見える差別に敢然と立ち向かい、そして勝利を勝ち取ったネルソン・マンデラ氏はやはりすごい人だと言わざるを得ません。当時の南アフリカアパルトヘイトが厳然としてあり、公認のものすごい格差が1994年までありました。1994年は私は日本語教師としての勉強をしていた頃でしたが、アパルトヘイト廃止のニュースには血が沸き立ったのを覚えています。

アメイジング・グレイスという唄があります。今でもよく色々な方に歌い継がれています。これはかつて奴隷貿易船の船長を経験してきたイギリスの牧師、ジョン・ニュートンによって作詞されました。ある日、暴風雨で死ぬ思いをしたとき、悟ったと言います。そして数年後、船を下りて生涯を神に捧げたそうです。その中でアメイジング・グレイスが書かれました。

皮膚の色が違うだけで同じ人間を売り買いする立場と売られる立場という理不尽さに自ずと悟るものがあったのだと思います。

私も奴隷貿易については米国で色々見てきました。友人の中には曾祖父が南部で大農園を経営していて、80人ぐらいの奴隷を所有していたというのもいました。どの話しでも気分は悪く感じたものです。特に南北戦争から後に関しては、好きこのんで連れてこられたわけでもない米国で差別され続けてきている黒人たちには同情を禁じ得ませんでした。

私は人種差別というと、ネルソン・マンデラ氏とボストンで見た黒人市民、そしてこのアメイジング・グレイスを思い出します。日々色々な国々の同門と接しますが、日本人としての矜恃、日本人としての雅量を決して損なわず、日本の伝統や歴史に彼らが頭を垂れざるを得ないほど、それを磨き上げるような努力を日々精進して参りたいところです。

平成二十五年師走十二日

不動庵 碧洲齋