不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

国棄てて どこに流るる 根無し草 その2

まあ、私の場合ですが、そういう払おうとしても払いきれない日本人感覚の上に成り立っていますが、それ故にどうしても理解しがたい移民者たちがいるのもまた事実です。

比較的特定の国であることが多いのですが・・・

移民先の国民であることに異常な誇りを持っています。

移民元の国なんかなかったかのような態度を取られる場合もあります。

できているかどうかは別として、その国と強い結びつきがあり、その国の社会の一つとして強固に溶け込んでいると力説する。

英語名ではなく本名で呼ぼうものなら目くじら立てて怒る場合もありました。

豪州にも住んでいる日本人は多く、何人も会ってきましたが、皆自然体でした。というか普通は自然体です。

ガリガリ、バリバリ、何と言うか濁音がガンガン付きそうなぐらいの形容で、働いたり金儲けをしたりする人がいます。

正直言ってそういう人たちはとても寒かった。

(もちろんそうじゃない人もたくさんいましたが!)

とあるアジアからの移民者ですが、勤め先の会計士をしていた方などは「俺は人間関係なんて嫌いだ。他の人より仕事をしてより多くの金をもらう。それ以外には何の興味もない。同国人と話すことだってできたらしたくない。」と平然と言っていました。似通った姿でも彼らと日本人は絶対に違う、そう思った瞬間でした。

私たち日本人の多くは(ま、全部とは言いませんが)、すべき仕事をできるだけ高いクオリティで全うさせる。賃金や利益はその後から付いて来る、そんな意識で仕事をしている人が多いように思いますが、彼らは効果的な金儲けの手段と自分の持っているカード(能力とか学歴とか)と相談の上、実行に移しています。だからそれが犯罪だったりたまたま高いレベルの技量であっても、それが本筋ではないように思うことが多々あります。これは友人の元警察官も同じようなことを言っていました。

先日、欧州から来た同門と懇意にしていたのですが、彼もアジアからの移民で欧州の国の市民権を得ました。

その国の国民であることと誇りにしています。その誇り方たるや、移民元の祖国を否定しているかのようにも聞こえることしばしば。それはそれでいいんですけど、何か寂しいなぁ。

自分のルーツ、自分の先祖よりも、今の自分の環境や条件に忠実であることにどれだけ意義があるのか。私には死ぬまで理解できないかも知れません。

その逆、海外に出ていても鼻持ちならぬ民族主義者たちもいます。彼らは神に選ばれし一族と言うことで、打ち解けぬほど誇り高いのはいいのですが、そもそも亡国の憂き目に遭ったり、周辺諸国と有効関係を保てなかったりするのは神様と言うよりも因果応報じゃなかろうかとも思います。

そういう意味で日本人である私にはやはり、日本人の姿勢が一番のように思うのですが・・・。明治時代から戦後間もなく行われていた日本からの移民はなかなかの数でしたが、世界的に見たらそれでも少数です。しかし例えばブラジルでは日系人と言えば貴族か何かのようにある意味ステータスな血筋なのだそうです。その子孫もやはり日本人の血が流れていることに誇りを混じている人が多いように思います。米国ではそうでもなかった人もいましたが。

海外にしばらく住んだことがある人ならもしかしたら理解するかも知れませんが、日本人であることがどれだけ有難いことか。日本国のパスポートはある意味黄門様の印籠のようなものです。そしてそれをそのように価値を高めたのは私たちではなくご先祖様です。そう考えたら、自分の国をたやすく見捨てることなどできない、と思うのでした。

平成二十五年霜月二十七日

不動庵 碧洲齋