不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

1人の命を救う

昔、漫画家新谷かおる氏が描いた「ファントム無頼」の中で、主人公が米国大統領を危機一髪で救出した際、米国空軍でライバルの士官から「君は仮に私であっても同じように助けただろうか。」という問いに「俺は1人の人間を救った、それ以上の理由が必要だろうか」という答えをして、脱帽させたという話があります。

私はそういう意味で、例え憎むべき敵であろうと救わねばならない状況下で命に軽重はないというのが信念です。

中国人留学生の厳俊さんが、9月に台風で増水した淀川に飛び込んで流されていた男児を助けたことは良く知られているところですが、褒章されようと表彰されようと、彼の行った行為に何ら関係ないと思っています。

比較的、ですが日本人のコメントを見る限りは「敵ながら天晴れ」ではありませんが、行為に対して評価しているものの、中国では評価が分かれています。

そうすると日本では、中国人の了見が狭いとか言いますが、これは見当違い。そもそも中国では私たち日本人が知り得るような情報も厳しく統制されていて、世界の常識でも著しく知らない事が多いのです。知り得る者が知り得ぬ者を厳しく評価するのはいかがなものでしょうか。これはいつも思います。

中国人研修生が時々やってきますが、日本のパソコンから覗かせる世界を見たときの彼らの表情はいつもタブーに手を伸ばしたアダムの表情ではないかと思うほど。

中国には我が社の工場があり、私の仕事の保証も一蓮托生です。こればかりはほとほと胃が痛くなりますが。民度が低いというのは本当です。聞いて呆れることもたくさんあります。一方で、日本人でも感心するようなこともたくさんあります。世界平均という怪しげな基準を用いたら、やっぱり中国は大いに問題があるとは言えます。それでも今もこうしてモノを作り続け、欧米人バイヤーたちも頭を下げている始末ですから、日本人が何と言ってもそういうだけの価値はまだあると言うことです。これから先は分かりませんけど。

ただ、まあ、何と言うか、工業に関して言えば国内回帰してもよいのではないかとさえ思います。無理ならせめて東南アジアとか。技術の向上心のなさもさることながら政治的に危ういのは間違いありません。

話が逸れました。人命ですが、中国ではこれまたよく人が死にます。そしてよく殺されます。30代ぐらいの若い人の男女比は3:1ぐらいだそうです。自然に生まれてくるのは普通1:1ですから、その時点で結構殺されてますよね。また、大人になるまで社会環境的に危険がいっぱい、また生活環境も日本の50-60年代の環境汚染がずっと続いているような感じでしょうか。大きな川だとよく遺体が流れていることもあるとか。それだけ劣悪な環境下で育つだけでも大変なのに、人を救うことを義とする教えを受けたこの中国人留学生の行為は、日本人がするよりもなかなか価値が高いように思います。

留学はなかなか大変です。特に中国人が日本に留学するのは、日本人が米国に留学するのとは全く違うと思います。金銭的にも思想的にも政治的にも非常に苦しい場面があるのではないかと想像します。この方が日頃からどのくらい学業に専念していたかは分かりません。もしかしたらそんなに優秀ではなく、例によって学業よりも仕事でお金を稼ぐことに専念していたのかもしれません。しかしそういう場合でも仕事を通じて、また今回の救出を通じて、日本人の精神の一端に触れたのなら、それはそれで留学の価値があったのではないかと思います。

人を救った行為は一つなのに、その評価は多数。色々な思惑や意見がありますが、その行った、たった一つの行為から、なにがしかの真実を見いだせるようになりたいものです。

平成二十五年霜月十四日

不動庵 碧洲齋