不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

知恵袋に思ったこと

人の不幸は蜜の味、と良く冗談で言いますが、人の悩みを垣間見てしまいたくなる誘惑は確かにあります。ま、私の場合は禅的に人の悩みがどこにあるかということがとても興味あるところなので、別に蜜の味を愉しんでいる訳ではありません。私も万事幸福とは参りませんから(苦笑)。

YAHOO知恵袋、なかなかおもしろいです。今まで人の悩みなどそう簡単に知ることはで来ませんし、逆にそれに対する様々な見解も普通は見られません。インターネット時代ならではです。こういう事はとても良いことだと思います。

知恵袋でやはり多いのは恋愛関係や夫婦関係、家族関係。仕事もありますが、仕事は変えることができます。家族はそうもいきません。(離婚という手はありますが)

読んでいて思ったことなど。

質問者さんたちの悩みの非常に多くは、もし私が本格的に禅を行じていなかったらしていたであろう質問のように思います。一言では言えませんが、問題を一度「自分を勘定に入れないで」再度勘案してみれば、実は大したことがない問題が多いように思います。自分の価値観念、自分の信念、自分の評価、それが相手に適合しないだけのことが多いように感じました。全くとは言いませんが、元来そういうものの大半、たぶん9割とかそのくらいは必要がないものです。私の師匠も97%はいらないものだとコメントしていたことがあります。価値観の差異ではなく、実害が出ていた場合、その原因を考えたり、被害が広まらないようにしたり、そういう意味での知恵袋は有用である場合があります。実害が起きていない限りは自分の物差しが合わないと主張している人が多いようにも思いますが、私の思い違いでしょうか。

回答者の方々も是か非か、善悪、我彼という相対的なもので答えている方が多いように思います。世の中は善悪とかそういうもので割り切れたら本当に楽です。ヒトラーだって自分が悪いと思ってあんな事をしたわけではないでしょうし、スターリンだって自分は正しいと思っていました。自分で自分が悪だと思って行動する人など、一体どれほどいるものか。学生さんの回答者ならいざ知らず、社会人がそういう解答をしたのならこれは少々問題ありです。

ほっとしたのはそういう視点をあまりしていない回答者さんがよくベストアンサーに選ばれていること。悩んでいる方とそうでない方の視点は違うんですね。質問者さんも本気で悩んでいる方が多い場合もありますが、ともあれ悩みを共有したいだけという方もいるように感じます。それは速攻解決するよりも大切なことではないかと思います。

と、思ったのでした。

平成二十五年霜月八日

不動庵 碧洲齋