不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

音楽祭と淡い初恋

昨日と今日は草加市の音楽祭で市内の小中学校が草加市文化会館に集まって歌や演奏をしました。

息子の小学校では息子が在籍しているクラスが出場クラスになり、このところ週に何度か放課後に残って歌の練習をしていました。

そういうことで昨日は午後から半休を頂き、息子の歌う姿を見に行きました。

4番目でしたが、一番前に立った息子は緊張気味に、しかも一生懸命に歌っていました。

なにせ1000人以上も集まった会場です。こんなに大人数の前で何かするのは初めてですからとても緊張したことでしょう。とてもよい経験になったことと思います。

実は私も小学校3年生の時に出たことがあります。

引っ越す前だったので市内の別の小学校でしたが、その時指導したのが小中高の中で恐らく一番優れた教育者ではなかったかと思う先生でした。もう退職されていると思いますが、今は別の教育関係のポジションで健在のようです。9歳の子供から見ても非常に優れた教師だったと思います。対応の仕方、ものの考え方、指導法に至るまで、その先生を上回る方はいませんでした。

その先生は指導力抜群で、毎回音楽祭では優勝していました。私も後でもらった録音されたテープを聴きましたが、本当に自分たちが歌ったのかと思うくらい、きれいな歌声でした。

小学校3年生の時に、同じクラスのある女の子が好きになりました。異性を最初に好きになるという感情は、波動砲みたいに衝撃的なんですよね。彼女は偶然にも家もすぐ近くでした。当時私はおとなしい子供だったのでそんなことはおくびにも出せず、時々長い通学路の帰りに話しながら帰ったり、教室で話す機会があったときは普通にときめきました。まあ遠くから見つめてため息をついていたタイプ?でしたでしょうか。

この時期、音楽祭のために帰りが遅くなり、暗くなりつつある通学路を集団下校したのですが、折しもその時は確か「口裂け女」の噂も持ち上がっていた頃でしたので、非常に頼られて嬉しかった思い出があります。

私の誕生日会では彼女は青いおしゃれなワンピースを着て参加してくれたのですが、それが今でも強く脳裏に焼き付いているぐらい、嬉しい思い出になっています。

私は4年生の夏休みの後から現在の場所に引っ越しました。その後彼女とは数回、前の町に遊びに行ったときに会ったりしましたが、6年生になるかならないかの頃には行かなくなりました。今思えば「君が好きだ」と言えば良かったと、実は今に至っても深く後悔していて、何かの折にふと思い出すこともあります。まあ、当時はいじめられてそういう気力もなかったのでしたが、彼女の存在のおかげでもしかしたらイジメに遭っても耐えられたのかもしれません。・・・ちょっと美化しすぎかな(笑)。合計4学期ほど一緒にいた、おとなしい近所のクラスメートに過ぎませんでしたから、きっと彼女はもう忘れていると思います。

誕生日会の時に近所の田んぼのあぜ道に立ち、来てくれた友だちと一緒に母が写真を撮りました。金色の稲穂の中でみんなが立ち尽くしている様は母のセンスの良さだと思いますが、このときの彼女の表情が胸を打つような表情でした。その後しばらく大事にしていましたが、現在は全部どこかに行ってしまったので彼女の写真は全く手元にありません。これも天命、大事な思い出は胸の内に秘めているのが一番と言うことなのでしょう。きっと彼女はいい母親になっているものと思います。

歌っている息子を見て、昔の自分に重ね合わせ、とても懐かしく感じた次第です。

平成二十五年霜月八日

不動庵 碧洲齋