不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

飢えか滅ぶか

昨日は息子と「おしん」を観てきました。

映画館では高齢者が10数人いただけでしたが、これはヒットしているのでしょうか。

個人的にはかなり見応えある作品だと思います。

主人公の濱田ここねちゃん、劇団にいる子供でもあそこまでの演技はなかなか出来ないかと思います。そうとうガッツのある演技でした。

ロケ地はかなり寒かったと思いますが、それを堪え忍んだ感じが良く出ていました。

これから大いに期待できそうです。

おしんのお父さん、お母さん・・・う~ん、ちょっと美男美女過ぎないか(笑)でも稲垣さんも上戸さんもなかなか良かったです。上戸さんは結婚もしていないのに、おしんと母子の絆の強さが感じ取れました。

泉ピン子さん、さすが。凄すぎます。文句なくビシッと決まっていました。それ以外でも加賀屋さんのみんな素晴らしかった。

これは第2章なども作られるのでしょうか。大いに期待したいしたいところです。

息子もしばらく感想が言えなかったほど。特に主人公は息子よりも一つ下と言うことに感銘を受けたようです。

おしんが生きた明治40年と言えば、日本が世界的にも希な戦略的勝利を収めた日露戦争が終わって2年が過ぎた頃です。戦力にして約10倍の敵に、世にも希なパーフェクトゲームを収めました。東洋の片隅にある小さな国が、かのロシア帝国に勝ちました。欧米諸国はせいぜいロシアの軍事力を削いでくれれば儲けものと、その程度でしたが、僅か1/3程度でしかない大日本帝国連合艦隊に全滅させられ、しかも司令長官まで生け捕りにされました。陸軍もロシア軍以上の犠牲を出しつつも、戦略的にはみごとな勝利を収め、欧米人たちを驚愕させ、不安に陥れました。艦隊戦では今でもこれ以上の完全な勝利は世界史上には存在せず、東郷平八郎元帥ほどの大人物もあまりいません。(私のご贔屓です・笑)

日露戦争は日本史の中では特筆すべき事が多くあります。司令官、指揮官クラスが生まれた頃は将軍様がいて、大名がいて、刀を差して、士農工商があり、鎖国をしていました。そんな時代に生まれた人が、数十年後には当時世界最新鋭の科学兵器を駆使していました。

また、当時、ほとんど名も知られていなかった日本が華々しい外交戦略を繰り広げ、イギリスやアメリカ、多くの欧州諸国が東洋の小島のために多額の国債を買ってくれました。今の外交官のレベルなど、当時のレベルからどれほどのモノでしょうか?和魂洋才とはまさに彼らのことではなかったかと思います。

戦争には何とか勝ちましたが、当時の国家予算の数年分にも及ぶ戦時国債を欧米諸国に買ってもらった以上はそれを返済せねばなりません。買った後が大変でした。戦時中も国民は大変な苦労を強いられましたが、戦後も国民は塗炭の苦しみを強いられました。それでもその当時の人たちは堪え忍び、戦時国債はきちんと返済されました。昔の人たちはそうしないと国家が滅びると言うことを理解していたのでしょうか?違うと思います。今その瞬間を乗り切る、その連続だったと思います。未来に思いを馳せて絶望したり、過去を振り返って懐かしんでいては、きっとあの苦しい時代を乗りきれなかったと思います。

私は幕末明治時代が一番好きですが、この民草たちの苦しみはよく理解しているつもりです。ハイカラやロシア、清国を打ち破ったことに浮かれていた明治時代ではないと考えます。

おしんはそんな時代にいた、1人の農民でした。

戦争は決して正しくはない。正しくないがそれでも起こさざるを得ない場合が多々あります。日清日露に限って言えばやりたくもない戦争だったことでしょう。大東亜戦争はいささか国家運営の知恵が足りなかった気がしますが。神様は大国相手に3回も勝たせてくれるほど甘くはありません。ただし日本は負けてそれ以上のものを得た気もします。分かりません。

おしんのいた場所も戦後の重税に喘いでいました。

これを機に大陸に出たり、知らない国に移民したりした人もいました。

おしんたちは自分たちが知らないところで起った大戦争のために、国家が買い入れた巨大戦艦や大砲群、最新鋭装備のツケを支払わされています。国家に文句を言っても仕方ありません、自分を呪っても仕方ありません。飢えていなかったら国家が滅んでいました。国家が滅ばなかったから飢えに苦しんでいます。どちらが正しいという判断は映画の中ではしていません。純粋に戦争は人の殺し合いと指摘しています。

帰路、息子とその辺りの話をしました。

もし日本が負けていたら今頃はみんなロシア語を話していたかも知れない。未だ東洋の片隅の貧しい国だったかも知れない。そうはならなかった理由は東郷平八郎元帥以下、多くの将兵たちの努力、優れた政治家たちの努力もあるが、名もなき無数の国民のがんばりがあってこその勝利だったと話しました。

青年になれば一時期はきっと、歴史上の名将や、英邁な君主、戦場美談に心を打たれ、感動するかも知れません。できたらそうして欲しいです。しかし、もっと大人になったとき、出てこなくてもよい名将、できなくてもよい戦場美談という考え方が発露してもらえたら、親としてこれ以上の望みはありません。そして同時に国家が国民に対して非常時の命令を下したとき、喜んで奉仕すべき事もよくよく伝えています。これは教育勅語にも書かれていることですし、曾祖父が何か故あってわざわざ著名な書道家に掛け軸として書いてもらった教育勅語が我が家に残っている事実は、一人の日本人としてすべき事を指し示しているように思います。

そのおしんのような子供が苦労をしない最大限の努力を政治家はもちろんのこと、国民みんなで努力し、それでだめなら国家が希望する奉仕をすべきであるといつも言い聞かせています。これを軍国主義国家主義というなら、何が正しいのか、私はいつも考えます。

息子はまだ10歳ですが、私は様々な角度から息子に話すように心掛けています。科学の話、仏の話、神の話、戦争の話、遊びの話、歴史の話、武道の話、くだらない話、それらは青年期を過ぎて、国家の役に立てる頃、家族を持つ頃に活きて自分が進むべき指針となってくれると思っています。

平成二十五年神無月二十八日

不動庵 碧洲齋