不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

刺し違えるつもりで!

昨日だったか、息子と話しました。

「もしお前が勤め先の会社で悪いことをして、人様に迷惑をかけて警察に捕まったら俺はどうすると思う?」

「ん~」

「迷惑をかけてしまった方に土下座をしてお詫びした後、お前を刺し殺して俺も死ぬ。」

「・・・いつもそういうつもりなんだ・・・」

ビックリしたように言葉に詰まりました。

「もちろんだ。お前に対する俺の一言、お前に対する俺の一つの行い、全部刺し違えてもいいぐらいの覚悟でしている。そうでなかったら親など失格だ。」

「・・・」

「俺はお前と遊ぶときも話すときも叱るときも全部、刺し違えるぐらい真剣にしているつもりだ。」

分かってくれたのか、しばらく深刻に考え込んでくれました。

子を持つ親ならみのさんの気持ちは分かると思います。20歳を過ぎたら責任がないなど、それは親の言葉ではありません。棺桶に入るその瞬間まで、子が罪を犯したら刺し殺すぐらいの気迫を持ってもらいたいもの。その真剣さが正しく言動に反映されての親の権威です。

親の権威は言葉や肉体での暴力ではありません。

未就学の子供に暴力を振るってしつけなどとぬかしている奴らは動物以下。

動物の親だってそんなことはしない。

そんなものには親の真の権威のカケラをも含まれてはいない。

もしみのさんが「息子もいい歳なので、自分には責任はない」と言ったら見損なったでしょうが、記事を読む限りはやはりそれ相応の責任を感じているように思います。

そして例によって子がいないのはもちろんのこと、嫁さんや彼女もいなさそうな独身貴族ばかりのような気がします。お気楽なのはいいですが、そういうことでは神様からも「そろそろ生まれてから2000年以上も経つ国だから、後は自己責任で。」と言われそうです。そんなのが国家の未来を背負うのは無理でしょうな。何だったらまともに子供を一人でも育ててみれば良い。

人を一人育てるのは至難の業です。本来そのぐらいのつもりで育てねばならないと思っています。秘儀奥義を尽し、研ぎ澄ました感覚や考えつくした智慧を用いて育てるものです。それをしなかったことを悔やんだり、それをしてなおダメな子供を悔やんだりするのが親です。

近頃多いのが、「合わなかったら離婚」「人を殺したら死刑」「むかついたら殴り殺す」などなど、安直すぎる結果を求めると言うこと。そんなのが訳もなく許されるのはゲームの世界だけです。

みのさんの息子さんは30歳を過ぎてますが、取りあえず死ぬまでにちゃんと清算してもらえたらいいと思います。また、みのさんも息子さんの更生に死力を尽してもらえれば、更に味のあるタレントになるかと思います。

色々なところのコメントを見ると、今回の件に限らず世の中は寒いとよく思う。自分じゃないからというオーラが出まくっている。そういうさもしい世の中を変えることが最優先のような気がしている今日この頃です。

「親としての責任考えた」=番組降板でみのさん会見

時事通信 10月26日(土)17時26分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131026-00000070-jij-soci

平成二十五年神無月二十六日

不動庵 碧洲齋