不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

名を挙げよ

初めて留学したときに面食らったことの一つが「英語名・イングリッシュネーム」というやつ。どんな人が持っているのかと言えば、華僑や香港人マカオ人、そしてもっとも驚かされたのが韓国人。ちなみに現在では中国本土の人もよく使っています。台湾でもいましたが、私はそれほど多いとは感じませんでした。特に香港人や韓国人の中ではイングリッシュネームで呼ばないと怒る人もいて、辟易したものでした。

翻って日本人でわざわざイングリッシュネームを作る人は今に至るまでほぼ見かけません。日本人の名前の中には確かに発音しにくいものがあります。そんなときはイングリッシュネームでも良さそうな気がしますが、ともあれ日本人の場合はどんなに発音しにくくとも略称、愛称、ニックネーム以上には譲歩しないことが大半です。同じく発音しにくい名前にタイ人の名前もあったりします。彼らには法則性のある略称というかニックネームがあるので、それを使っています。

イングリッシュネームを好んで使う人たちに共通するのは、それを使うことによってあたかも西洋人っぽくなること。憧れというのか何と言うのか。日本人だって相当西洋かぶれしている、と思うかも知れませんが、意外にこれがくせ者(笑)。そんなに死ぬほど西洋が好きならもっと英語がうまいはず(苦笑)。あの手この手を使って何とかして他国の永住権、あわよくば国籍を取ろうと策を練ります。海外に知り合いとか知人とか友人がいないものかと血走った目で探しまくります。外国車を所有して乗ります。普通の日本人はそんなことしませんよね?そう考えると日本人の西洋かぶれなんていうのは祖国に対する自信に裏打ちされた、単なるオシャレのような気がします。日本人の英会話指向とか海外志向というのはある意味なくてもそんなに困らないレベル。言ってみればカルチャー的で、逼迫しているとか、切羽詰まってとか、そういう感じではありません。まあ、日本はそれだけ平和なのです。

イングリッシュネームを使う人たちはまさに焦がれているような感じです。しかも少々引いてしまうのはどこかの大会社の御曹司でも、やっとこさ留学できた一人息子でも一様なところ。ということはあれだけ燃えるような敵愾心を燃やさねば祖国愛とか愛国心とかが湧き出てこない韓国というのはある意味哀れでもあります。みんな徴兵を逃れたく、あの手この手やっている人がいました(笑)。そういうところでガミガミと愛国心を怒鳴るのは、内心がバレたくないためとも言えます。

あ、世界で一番日本語学習者が多いのは数年前まで韓国でしたから(爆)。今でもベスト3ですよ。ちなみに一番日本語学習者が多いのは・・・中国(苦笑)。こういう風に世界を見るわけです。反日に反中/韓では同レベル、日本人として恥ずかしいです。もっと多角的に見ましょう。理性的でスマートで品位のある反論を、世界は日本に期待しています。下品で田舎くさいのは少々幻滅します。

名前の話しでした。私自身、本名の他、イングリッシュネームと庵号武号を持っています。イングリッシュネームは昔、米国人同門が名付けてくれたのですが、以後外国人同門が非常に多い環境下で何となく使ってきました。多くの外国人同門が好んで私をイングリッシュネームで呼んでいたのですが・・・。不思議なもので、30代前半からイングリッシュネームを知っていても敢て本名で、しかも「さん」を付けて呼んでくれる人が自然に増えてきました。門下では「~さん」はよく使われ、時には外国人同士でさえよく使われます。

これはひとえに私の人徳によるもの!・・・なわけありません。やはり日本文化への畏敬の念がそうさせているような気がします。日本人に対して例えイングリッシュネームを持っていてもそんなものを使うことは無礼だと思わせる何かが日本の文化にはあるように感じます。私は一向に構わないのですが。

こういうとき、日本人でよかったなぁと思うのです。

まあ、自分に違う名前があると言うのもカルチャー程度ですがおもしろいですよ。そう言えば日本だって明治時代ぐらいまでは大人になったときや、何かの節目で名前を変えていましたし、雅号や武号もよく使っていましたから。

ふと、そんなことを思いました。

平成二十五年神無月十八日

不動庵 碧洲齋