不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

人として誇りを持つこと

よりによって私の誕生日に起きた悲惨な事件なので、良く覚えています。フィリピン系ハーフの21歳の青年が、交際を辞めた18歳の女子高校生を残忍な方法で殺害した事件です。被害者の女子高生は女優も目指していたようで、写真を見る限りはとても可愛らしいお嬢さんのようです。また、ニュースでは結構な資産家だったとか。

一方の加害者は母子家庭。父親は日本人で母親はフィリピン人。父親はどうしたのでしょうか。昔ほどではないと言っても、日本ではやはり純血の日本人以外ではなかなか住みやすくないというのは紛れもない事実。日本政府が偏狭だとか、日本文化が異常だとか言うつもりはありません。東洋の片隅の小さな島国がたまたま抜群に抜きん出た国になってしまったのです。フェンスを越えて侵入するのが難しければ、見掛けが違う人が入ってくるのも難しく、ましてや言葉も分からなければ話にもならない。日本で外国人の血が流れている人が住むと言うことは特別な才能が無い場合はなかなか難しい事がとても多いという単なる事実です。これは自由や人間の権利を比較的認められている先進国の中で、という意味です。

それでもこの異常に優れた国の社会の、せめて末端でもいいと、やってくる外国人は紐切らず。彼のお母さんがどんな立場の方だったのか分かりませんが、個人的な感想ではあまり幸福だったようには感じませんでした。

お母さんは息子にこう言ったそうです。

「あなたと彼女では、立場が違いすぎるのだから、そっと彼女の夢を応援し、彼女の気持ちを尊重してあげなさい」

自分が息子に言うとしたら身を切られるほど辛い思いです。私だったらもしかしたら一緒に交際を断ちきった人を恨んでしまうかも知れません。ともあれ、フィリピン人のお母さんは腹を痛めて産んだ息子にそんなことを言わねばならないほど、社会的な地位が違うと認識したようでした。このお母さんも死ぬほど辛かったろうと思います。

私は容疑者をかばうつもりはありません。単に親の立場から、これは悲しい事件だと思うだけです。

日本の場合に限らず、社会的地位というのはやはり厳然として立ちはだかっています。日本ではかなり低くなってはきています。自由だという米国では貧富の差の激しいこと、絶望的なほどです。それを「アメリカンドリーム」と美化する向きもありますが、私はこの手のレトリックが嫌いです。

この青年には何が足りなかったのか、考えます。

人は皆平等だという妄想は好きではありません。

生まれたときから人は不平等、不公平です。お釈迦様も人の四大苦悩の一つに挙げているぐらいですから。つまり避け得ない苦しみと言うことです。

そしてよく考えると人類はこの理不尽さを乗り越えて何万年か継続してきています。だから理不尽だろうと不条理だろうと関係なく、人の営みは続いています。

故にこの青年も生まれが不幸だろうが何だろうが、他人の生きる営みを妨げてはならず、自らの営みも邪なものであってはならないと思うのです。

この青年にはたぶん人としての誇りが足りなかったのではないかと思います。

資産に依らない、学歴に依らない、生まれに依らない、種族に依らない、国籍に依らない、容姿に依らない、ましてや他人に依らない、一人の人間としての誇りです。

歴史的に偉人たちを見ても、今の世の中を見渡しても、それは確かにあると私は信じています。たぶん、神様がいる確率よりも高そうです。

私も随分偉そうに言ってしまっていますが、例えば筋金入りの貧乏人は例えお金があっても、貧しい様を周囲に晒すそうです。また、筋金入りの金持ちは例え資産を失っても豊かな様を周囲に分からせるものだと聞いたことがあります。人の誇りとは、例えばそういうものだと理解しています。

お金はとても大事なものですが、それは自ら為すことを決心した志があってのもの。それが無かった場合はお金があってもないのと同じではなかろうかと思います。自分の息子にはお金はたくさんある道具のうちのたった一つにしか過ぎないといつも語ります。

韓国では子供の3割以上が1億円のためなら少しぐらい刑務所に入っても構わないという驚きのアンケートがありましたが、これは完全に異常です。息子に話したら口をあんぐり開けて理解不能と言っていました。

私も例えば見照(禅の悟り)が1兆円ぐらいでできるというなら一生懸命稼ぎたいところですが(苦笑)、現実問題としてそもそも物差しが間違っています。これは天秤を用いるべきところを物差しで計っているようなもの。人の誇りと社会的地位や資産とはこれほどの質的違いだと思います。

なくなってしまったお嬢さんはドラマなどにも出たほどに可愛らしい少女でしたが、もうこの世には戻ってはきません。殺した本人はまだ生きています。

トーマス君は母親が見せたかったもの、自ら見なければならなかったもの、この世の不条理さの在り方、これを刑務所の中でじっくりと拈提して、日々犠牲者に対して祈りを捧げて欲しいと思います。

参考までに

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高3女子刺殺事件 犯人を凶行に駆り立てた「劣等感と絶望」

女性自身 10月17日(木)0時0分配信

 10月8日、東京都内の私立高校3年生で、女優としても活動していた鈴木沙彩さんが刺殺された。帰宅したところを自宅に潜んでいた池永チャールストーマス容疑者(21)に襲われたのだ。自宅から路上に逃げ出した鈴木さんを容疑者は追いかけ、首、肩、腹部に何度もナイフを突き立てたーー。

 容疑者は、鈴木さんの元交際相手だった。池永容疑者は日本人の父とフィリピン人の母との間に生まれた。父を亡くし生活は苦しかったという。京都市内にある実家は築34年の古いマンションで、池永容疑者は家計を助けるために高校時代から近所のスーパーで、アルバイトをしていた。高校卒業後には一時期、自衛隊に入隊していたという報道もある。

 池永容疑者と鈴木さんは2年前の’11年10月ごろフェイスブックを通じて知り合い、交際を開始。容疑者が夜行バスに乗って、東京の鈴木さんに会いに行っていたという。その際、鈴木さんの自宅にも遊びに行ったことがあったようだ。容疑者の母(46)は事件翌々日の10日、文書で次のようにコメントした。

「鈴木さんとの交際がトーマス(容疑者)の自慢でしたが、昨年の夏ごろには別れ話があり、落ち込み悩んでいました」

 鈴木さんの家庭環境は池永容疑者とはかなり異なっている。

「(鈴木さんの)祖父母や、お母さんも画家だったと思います。ご実家は近所にたくさんの土地を所有している資産家です。鈴木さんは一人娘で、本当に大事に育てられたのです」(鈴木さんの自宅の近所の住人)

 母子家庭のハーフ青年と資産家で女優活動もしているお嬢様、その交際がきしみ始めたころ、フィリピン人母は容疑者に「あなたと彼女では、立場が違いすぎるのだから、そっと彼女の夢を応援し、彼女の気持ちを尊重してあげなさい」と忠告したという。いったい何が、彼を卑劣な殺人者に変貌させたのか。立教大学教授で精神科医香山リカさんはこう分析する。

「裕福で、美しくて、有名人とも交流していて……。そんな鈴木さんとの交際は、池永容疑者にとっては“人生の全て”のように感じられ、彼女と別れることは自分を失うような絶望感を生じさせたのではないでしょうか。別れを切り出されたとき、そうした感情が彼女への強い憎しみになったのだと思います」

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犠牲者に哀悼を込めて

平成二十五年神無月十八日

不動庵 碧洲齋 拝