不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

それぞれの10歳

昨夜、なにげに息子と語りました。

ジイジが10歳だったとき、私が10歳だったとき、そして息子が10歳になっている今。

祖父が10歳だったのは1945年、その年日本は日本史上空前絶後の大敗戦を経験しました。

その年の前半は米軍の巨大な爆撃機が数百機も東京の空を飛び、日本を爆撃し、後半は米国を中心とした外国の軍隊が駐留している様を見ていました。荒廃した時代でした。

私が10歳だったのは1979年。世界はそんなに大きな事件はありませんでしたが、ソニーから初めてウォークマンが発売されました。早速、従兄弟がそれを買ってきて虜になっていたのを良く覚えています。子供ながら、あんなに小さな機械からなかなかの音質で流れていた音楽に感心しました。

そして今。どこの家にもごく普通に携帯電話やスマートフォン、コンピューターがあり、携帯電話から地球の裏側の友人と瞬時につながることができます。宇宙には宇宙ステーションが飛んでいて、常時人がいます。日本人の宇宙飛行士も今や別段珍しいものではなく、米ロを除けば世界で最も多く、宇宙に人を送っています。

「やっぱり人間ってどんどん進んでいるんだねぇ」と感慨深げに息子は言いました。

父が10歳の頃は外国人を見るのも珍しい時代でした。父は野球少年だったので、進駐軍兵士らと親善野球試合をして、ご褒美にコカコーラをもらったことがとても嬉しかったと言っていました。私が初めて外国人と会話したのは16歳、初めて海外に行ったのは20歳でした。息子は3歳でサイパンに行き、その後2回、ロシアに行っています。そして息子にとって外国も外国人も全く珍しくも何ともない、日常の一風景にしか過ぎません。

私はあるとき父が願った未来の一風景になっているのでしょうか。息子は私が心に描く未来の一風景になれるでしょうか。自分の信じたよりよい未来、素晴らしい未来は今この瞬間に対してベストを尽すこと。それ以外にはありません。

語り合った後、向かい合わせで勉強をしている息子の姿を見ながら、ふとそんなことを思いました。

平成二十五年神無月十七日

不動庵 碧洲齋