不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

会話力と対話力

最近、電車の中である英会話教室の広告を目にします。

「『会話力』より『対話力』」

だったかと思います。

毎度毎度、英会話学校はよく文句を考えるなぁと感心します(笑)。

私の英語も怪しげで自己流で時々赤面する場合もあるのですが、一応、30年近く、周に何度かは英語を話さざるを得ない状況とは付き合いがあり、米国と豪州にトータルで約5年住んでいて、ここ10年近くは仕事でもプライベートでも年中無休で英語を使わねばならない状況が続いています。ということで、ほんのちょっとだけ、これから英会話を勉強しようと志す方々の頭の隅に置いてもらえたらと思うことがあります。

英語が話せると世界と話せるとか言う文句もありましたが、それは間違いです。英語は世界で最も多く学ばれている言語であることは間違いありません。間違いありませんが、世界の人口約72億人のうち、英語を母国語としている人は5億人ちょっと。世界と話せるという意味の多くは、母国語としない人たちが学んでいる英語という意味です。

例えば日本人とタイ人、たぶん通じる確率が高いのは英語ですが、どちらもうまくない可能性がかなりあります。こういう事です。

うまく話せる、だけでは全くダメです。母国語としない人の話す英語を理解する能力も重要です。もちろん、世界には2.3ヶ国ぐらい普通に話す人は多くいます。先進国で母国語以外満足に話せない人が大多数というのは日本だけかも知れません。

ま、それはそれで真っ当すぎるぐらいの理由があり、全く恥ずべき事ではありませんが、あいにく世界の土俵に立つにはやはり英語などを話せねばなりません。

そんな折、日本人の持つ感性、滝川クリステルさんで有名になったキーワード「おもてなし」などは、なかなか有効ではないかと思った次第。うまく話すよりうまく理解してあげる、こういう思考法を持てば(というより多くの日本人はそういう感性を持っていると思います)、うまく話せなくても有り余るコミュニケーション能力が生まれるかも知れません。

先日、何かの集まりだったか、英語を母国語としない、英語を話す外国人の友人を連れて参加したのですが、その折、近くにいた方がたぶん親切で友人にスピーチをしている人の英訳をしてあげていました。傍から聞いている限りではなかなかうまかったと思います。しかし帰路、友人に尋ねたところ、「早すぎてよく分からなかった。言い回しが分かりにくかった。」とのこと。実は私もそう感じました。英訳してくれた方の名誉のためい言っておきますが、彼も結構海外に行っていた経験がありますし、流ちょうさでは私よりも上かも知れません。でも分かりにくかったのです。たぶん、彼は日本に戻ってからそんなにたくさんは外国人と語る機会がなかっただけかも知れません。

対話力というのはやはり、一朝一夕では培われません。また、その集まりはなかなか哲学的な難しさを語る場でしたから、自分で言いやすい言い回しではもちろんダメで、誰にもわかりやすい言い回しが求められます。私もよく、FBなどで武芸や禅についてあれこれ書きますが、わかりやすさを追求するので書いては消し、書いては消しの繰り返しがよくあります。

そんなことを考えながら英会話を勉強すれば、より多くの人たちと語り合えるようになると思います。

平成二十五年神無月十六日

不動庵 碧洲齋