不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

そして我が家宝は海を渡る

昨日、私は我が家の家宝を露国武友に手渡しました。

家宝とは私が生まれたときに両親が買ってくれた五月人形・鎧兜の飾り一式です。

小さいながら、美しい大袖鎧の甲冑で、子供の時は毎年五月になるのが楽しみでした。

しかし息子が生まれた折、我々夫婦と両方の親がお金を出して実物大の甲冑を買ってからはほとんど飾ることもなく、押し入れの奥にしまったままでした。

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露国武友は来月早々に男児が誕生するとか。

そういうことで今回、日頃からお世話になっていることもあり、我が家の家宝を譲ることにしました。

40年ぐらい大事にされてきた我が家の家宝が遠く離れたロシアの子供の守護神になります。

こういうのが国際交流というものではないかと私は思っています。

不思議な縁と言えば縁ですが、自宅の仏壇に飾られている阿弥陀如来も不思議な縁で我が家にやってきました。

元々京都にあったものですが、戦前、同志社大学で教鞭を執っていた米国人家族のご息女が帰国の折に近所の嵯峨清涼寺から記念にと手渡されたものでした。その後、彼女が米国で亡くなる折に、米国在住の日本人の友人がそれを受け、私の昇段の折に記念にとまた、日本に渡ってきました。

詳細はこちらのブログに書いてありますので、良かったらどうぞ。

http://fudoan.at.webry.info/201206/article_1.html

私も理不尽な文句ばかり言う反日嫌日国家に対してはやはり好きになれないことは多々あります。が、その国の人たちもよく知っていますし、なるべく交流を持っています。故に根拠が薄かったり、むやみやたらに愛国を叫ぶような人は正直好きではありません。反日国家もしくは民族に対して思うところあり、反対意見を持つ、真の人は概して知性や理性、冷静な判断力があり、それを以て他人に対して納得させるものがありますます。罵詈雑言を書き散らかしているだけの人は概して、愛国の名を借りた日々の鬱憤晴らしに過ぎません。間違ってもそういう人たちは愛国の情で動いていません。

ほとんどのイスラム過激派も経済的、政治的な不満をジハードなどとうそぶいているだけです。これと同類でしょう。愛国心や神様がこんなのに利用されたらたまりません。

今時大規模な戦争を起こして、甘すぎる汁にあやかれるような図式は存在しません。戦争は軍事関連企業のごく一部を潤わせるだけで、国家の信用度や安全、世界の混乱を考えるとどんな意味においても得することがなくなってきてしまいました。だからばかばかしくてもなんでも、戦争や紛争をさせないのが一番です。ま、小規模な紛争の類はやむなく起こしてしまうこともあるのでしょうけど。

このような市井の民草の、小さな交流の積み重ねが一番堅実な異文化理解の仕方、ひいては世界平和の実現ではないでしょうか。そんな風に思っています。

平成二十五年神無月十一日

不動庵 碧洲齋